2014年1月31日金曜日

マインドフルな1月31日

肺が収縮・膨張することによっておこなわれる呼吸のもっとも重要な役割は、血液中に酸素を取りこみ、血液中の二酸化炭素を排出することです。
このガス交換を実際におこなっている末梢器官が肺胞であり、肺のなかにはそれがびっしりと無数に詰まっています。
ぶどうの房の一粒一粒のようなイメージですが、なかは空洞です。
直径が0.1mmから0.2mmくらいの微細な器官ですが、この表面積を合計すると成人の場合で60畳くらいの面積になります。
この表面を空気が出たりはいったり、つまり流れているようすを想像してみてください。
壮大な空気の流れが肺のなかで生まれていて、それが私たちの生命活動をささえてくれているのです。
呼吸がいかに大切か、よくわかるかと思います。

マインドフルの練習(31)
立っていてもすわっていてもかまいませんが、呼吸に意識を向け、しっかりと吐ききってみましょう。
一定の速度で吐きだしていき、最後は肺のなかに残った空気を「フッ、フッ」と絞りだす要領で吐ききります。
実際にはすべて吐ききることはできないのですが、できるかぎり、これ以上吐けないというところまで吐ききってみます。
そのとき、身体がどのようになっているのか、どこの筋肉が緊張しているのか、よく観察してみましょう。
ただ吐ききり、その状態の身体のようすに注目します。

2014年1月30日木曜日

マインドフルな1月30日

肺という器官は、内側が五つの部分に分かれています。
このひとつひとつを肺葉といいます。
肺葉のなかにはさらに小さい袋のようなものがたくさん詰めこまれていて、ぶどうの房のような形をしています。
これを肺胞といいます。
肺胞のひとつぶひとつぶを胚嚢といい、ここで酸素と二酸化炭素の交換、つまりガス交換がおこなわれます。

マインドフルの練習(30)
静かにすわり、大きく呼吸をします。
しっかり吐ききり、それから大きく胸いっぱいに吸います。
それを何度かくりかえします。
余計なことはかんがえずに、ただ呼吸に集中します。
肺でガス交換がおこなわれ、新鮮な酸素が肺から全身へとめぐっていきます。
全身があたたかくなり、脳がすっきりし、手足の末端まで酸素がゆきわたるようすを観察してみましょう。

2014年1月29日水曜日

マインドフルな1月29日

呼吸筋という名前の筋肉はありませんが、多くの筋肉が連動して動いています。
人はいちいちそれを頭でかんがえてやっているわけではありません。
身体が自動的にそれをやってくれているのです。
横隔膜、肋間筋、腹斜筋、腹横筋、さらには斜角筋群、胸鎖乳突筋、大胸筋、小胸筋、僧帽筋、菱形筋、腹直筋、骨盤底筋群にいたるまで、ゆるやかに連動しています。
発声や呼吸を鍛えると称して腹筋(腹直筋)運動をすすめる人がいますが、局部的に鍛えても有効でないことは容易に想像がつくでしょう。

マインドフルの練習(29)
ご飯をしっかりとかみ、じっくりと味わいながら食べるのは、一種の「食べる座禅」といってもいいでしょう。
「いまここ」の自分と自分の感覚につながり、外からはいってくる食べ物をしっかりと味わうのです。
なにかを思い出したり、想像したり、かんがえるのをやめて、ただご飯とそれを食べている自分の感じを味わいつづけます。
そのとき、呼吸を忘れないようにしましょう。
呼吸への意識をはなさないまま、食事を味わってみてください。

2014年1月28日火曜日

マインドフルな1月28日

吐く呼吸のときは、吸うときと違う筋肉が働きます。
吸うときは外肋間筋が収縮して肋骨が上に引きあげられましたが、吐くときは内肋間筋が収縮して肋骨は逆に下へと引きさげられます。
さらに肋骨は内腹斜筋・外腹斜筋によって下へと引きさげられます。
横隔膜は弛緩しますが、腹横筋によって絞られた内臓が横隔膜を上へと押しあげます。
つまり、肋骨が下がると同時に横隔膜が押しあげられることによって、肺の体積が小さくなり、息が外へと排出されるのです。

マインドフルの練習(28)
ご飯をかむと、米粒のなかにあるでんぷんが、唾液のなかにあるアミラーゼという酵素によって分解されて、麦芽糖やぶどう糖になります。
糖なので、甘く感じるわけです。
現代人はほとんどその甘さを味わう余裕がないほどのスピードでご飯を飲みこんだり、あるいは心ここにあらずの状態で食事をしています。
ちょっと立ちどまって、ご飯をしっかりとかみ、でんぷんがアミラーゼ酵素によって糖に分解され、甘みをもたらすようすを観察してみましょう。
事実、それが私たちの口のなかで「いま」起こっていることなのです。

2014年1月27日月曜日

マインドフルな1月27日

マインドフルネスの入口としての呼吸に緻密な意識を向けるためには、呼吸を作る筋肉についての知識をある程度持っておくことは有効です。
呼吸をするための器官「肺」は筋肉組織ではないので、それ自体が収縮したり膨張することはありません。
肺を取り囲んでいる骨格と筋肉が動くことで、肺が収縮したり膨張して呼吸が作られるのです。
そのことをじっくり観察してみましょう。
まずは息を吸うとき、肺はふくらみます。
胸郭=肋骨と胸骨(胸板)と胸椎(背骨)に囲まれた空間が広がり、肺に空気がはいってきます。
肋骨の間には肋間筋(外肋間筋)という筋肉が張りめぐらされていて、それが収縮することで肋骨が釣りあがるように動きます。
同時にドーム状のテントのような形の横隔膜が収縮して肺の下面を下へと引きさげます。
これが「吸う」呼吸のときの骨格と筋肉の動きです。

マインドフルの練習(27)
白米でも玄米でもいいのですが、ご飯をじっくりと味わって食べてみましょう。
子どものころよくいわれたと思いますが、
「よくかんで食べなさい」
これを実行してみます。
米粒をよくかみ、唾液とまじって甘くなってくると、なんとなく幸せな気持ちになるのは、たんに甘さのためだけではないと思いますよ。
ご飯を味わうというマインドフルな行為そのものが、人に幸福感をもたらします。

2014年1月26日日曜日

マインドフルな1月26日

ふだん私たちは無意識に呼吸していますが、意識的に呼吸することもできます。
無意識に動いている、あるいは意識的に動かすことのできない筋肉のことを、不随意筋といいます。
心臓や内臓がそうですね。
姿勢を制御したりバランスを取ったりしている深層筋(コアマッスル)の一部もそうです。
呼吸筋群は不随意筋であると同時に随意筋でもあります。
このことを利用するのが呼吸法です。
随意と不随意の交差点にある呼吸を利用して、自分では意図的にコントロールできない自律神経にアクセスするのです。

マインドフルの練習(26)
ご飯を食べるとき、意識がどこかに飛んでいっていませんか?
無意識に、機械的に食べながら、ほかのことをかんがえていたり、記憶を反芻していたり、なにか妄想をめぐらせていたり、だれかのことをぼんやりかんがえたりしていませんか?
ご飯を食べるとき、「ご飯を食べる」という自分がおこなっている行為そのものにしっかりと意識を向けてみましょう。

2014年1月25日土曜日

マインドフルな1月25日

自分のおこなっていることに完全に集中していながら、自分の外側からの情報も遮断されることなく流入しつづけていて、それらのことにも気づきつづけている感じ。
このとき人は自分の能力を最大限に発揮できます。
この密度が高い状態を「フロー状態」と呼ぶことがあります。
最近、しばしば耳にする言葉ですが、すこし安易に使われすぎているような気もします。
フロー状態は簡単に手にいれられるものではありませんが、不可能というわけでもありません。
とても高い密度の集中と、思考の手放しが必要です。

マインドフルの練習(25)
どんな飲み物でも、それを飲みこむときには、それぞれの飲み物の感じがあります。
お茶にはお茶の、コーヒーにはコーヒーの、熱いものには熱いものの、冷たいものには冷たいものの、それぞれ異なった感じがあります。
それらをじっくりと味わってみましょう。
熱い飲み物を飲むとき、それが口のなかから喉、食道、胃へと降りていく感じ、冷たい飲み物を飲むとき、それが口のなかから喉、食道、胃へと降りていく感じ、それぞれを丁寧に観察してみます。

2014年1月24日金曜日

マインドフルな1月24日

自分では「集中している」と思っている、じつはそれは「執着」という状態のなかでなにか作業をしているとき、人は自分自身のことにまったく気づいていません。
自分では一所懸命がんばって能力を発揮しているつもりでも、全体性が働いていない人間はとてもパフォーマンスが低下しているのです。
パフォーマンスをあげるには全体性を回復することが効果的です。
つまり「執着」から「集中」の状態へと自分を変えるのです。
そのためにマインドフルネスが必要になってきます。

マインドフルの練習(24)
お茶を口に含み、飲みこみます。
そのとき、自分の呼吸にも着目しておきます。
お茶を飲みくだす瞬間は気道がふさがり呼吸はとまりますが、その前後の呼吸を把握します。
呼吸、お茶を飲みくだす、そしてまた呼吸。
お茶がお腹に降りていって落ち着くさまもしっかりと観察します。

2014年1月23日木曜日

マインドフルな1月23日

なにかするとき、その作業に没頭してまわりのことに気がつかないようなことがあります。
名前を呼ばれてもうわのそら、ひどいときには名前をよばれたことすら気づかない、というような状態です。
そういう状態を「集中」だと思っている人が多いようですが、それは集中ではありません。
仏教用語でいうところの「執着」です。
執着を手放し、マインドフルにはいっていけるようになると、いわゆる「フロー」の状態が見えてきます。

マインドフルの練習(23)
お茶を飲むときに、お茶の香りや味わいに注目するだけでなく、自分自身の状態からも目を離さないようにします。
具体的には呼吸を意識し、呼吸に目を向けつづけたまま、同時にお茶を飲むことにもこころを注ぐのです。
日々の練習が必要ですが、自分自身の呼吸に意識を向けつづけながら、マインドフルにお茶をしっかりと味わえるようになります。
練習してみましょう。

2014年1月22日水曜日

マインドフルな1月22日

料理の上手な人に「おいしい料理を作るコツは?」と聞くと「おいしくなーれ、と呪文をとなえながら作るのよ」と答えられることがあります。
冗談だとか、答えをはぐらかされたとか、思ってしまいますが、案外まじめなようです。
「おいしくなれ」とこころを込めながら作るというのは、まさにマインドフルの状態で料理をするということなのかもしれません。
料理を作ること、そのことに集中すること、それがおいしく作るコツなのかもしれません。

マインドフルの練習(22)
マインドフルにお茶をいれてみましょう。
ポットにお茶をいれ、適切な温度のお湯を注ぎ、時間をはかり、丁寧に湯のみにお茶を注ぐ。
その一連の作業を、ほかのことをかんがえずに集中しておこなってみるのです。
さて、お茶の味や香りは変わるのでしょうか?

2014年1月21日火曜日

マインドフルな1月21日

食事をしたりお茶を飲んだりするときは、マインドフルネスのとてもよい練習のチャンスといえます。
たとえばお茶を飲むとき。
なにか別のことをかんがえながらうわのそらでお茶を飲むのではなく、お茶を飲むというそのことだけに注意を向けてみましょう。
マインドフルネスは結果的にとてもリラックスしたこころの状態をもたらしますが、マインドフルネスの練習をするときはある程度「がんばって」集中する必要があります。

マインドフルの練習(21)
お茶をいれます。
湯のみにはいったお茶をまずしっかり目で味わいます。
湯気、色、透明度、それらを味わったら、口元に運び、今度は香りを味わいます。
ゆっくりと鼻から息を吸いこみ、お茶の香りが自分の鼻腔をみたし、全身にゆきわたるようすをじっくりと味わいます。
それからおもむろにお茶をすすります。

2014年1月20日月曜日

マインドフルな1月20日

なにかやらなければいけないことに気がせかされているとき、人はマインドフルとはかけ離れた状態にいます。
「あれをやらなきゃ」「これをやったら次はあれをやって」「時間はあるんだろうか」「もし失敗したら、忘れたらどうしよう」
さまざまな思考や想像に心を占拠されてしまいます。
そういうとき、ふと立ち止まって呼吸に目を向けてみます。

マインドフルの練習(20)
自分がなにかにせかされている、あるいは、あせっていると感じたとき、あえていまやっていることをやめて立ち止まってみます。
立ったままでもいいですし、座ってもいいですが、落ち着いて呼吸を数えてみましょう。
五つ数えたら、またやっていたことに戻ればいいのです。

2014年1月19日日曜日

マインドフルな1月19日

よく集中できる単一の音から練習を始めて、音に集中して思考を手放すことができるようになってきたら、今度は自然音でも練習します。
視覚遮断の練習でわかったように、私たちはさまざまな音に取りかこまれています。
とても静かで、なにも音がないと思っている場所でも、耳をすますといろんな音に気づいたりします。
音の感受が深まってくると、静かな場所で自分の身体の内側の音に気づくようにもなってきます。

マインドフルの練習(19)
いつ、どこでも、チャレンジしてみましょう。
騒がしい場所でも静かな場所でも、ぱっとすわって意識を音に向けてみます。
さまざまな音が聞こえてくるでしょう。
それらの音をいちいち「車の音だ」「人の声だ」とラベリング(レッテル貼り/判断)をせずに、ただ受け入れます。
それらの音が身体のなかにはいってくることによって、自分の身体の感じがどのように変化しているのか、ただそれを感じてみる練習です。

2014年1月18日土曜日

マインドフルな1月18日

思考を手放し、聞こえる音だけを味わう練習としては、まず単一の音に集中してみるといいでしょう。
ピアノ、おりん、チベタンベル、ワイングラスといった、ある程度持続しながら減衰していく音が練習に最適です。
チベタンベルというのはチベットの法具で、ふたつの小さな丸い金属を打ち合わせると「ちーん」と澄んだ音が長く響きます。
エスニックショップなどに売っているので入手しやすいでしょう。
その澄んだ音色がなにかを浄化してくれるような感じがするので、愛用している人も多いのでしょう。

マインドフルの練習(18)
静かに場所と時間を確保できたら、すわって呼吸に意識を向けます。
呼吸への意識を手放さないまま、音を鳴らしてみます。
呼吸する自分の身体と音が溶けあい、音が自分の全身にしみこんでいくさまをゆっくりと味わってみます。
もちろん思考は手放して、ただ、いまこの瞬間を味わうことに集中します。

2014年1月17日金曜日

マインドフルな1月17日

人がなにかを聞くとき、聞いているようでいて聞いていないことが多いのです。
たとえば「チーン」というおりんの音を聞くとき、頭のなかにはすぐにさまざまな思考が湧いて出てきます。
さまざまな思い出、連想、回想、想像、そういった言語思考が生まれて、すでに音そのものを聞いていません。
そうではなく、思考をできるだけ追いだし、音そのものを味わうこと、身体全体で音の感じを受けとり、いまここの自分がどのようにその音を感じているのかを味わうこと。
それがマインドフルネスのよい練習になります。

マインドフルの練習(17)
持続する音が鳴るものを用意します。
できれば音が減衰していくものがよいでしょう。
ピアノでもおりんでも瓶でもいいのですが、それを前に置きます。
静かにすわって呼吸に意識を向け、ととのえます。
音を鳴らします。
音を身体にしみこませることだけに意識を向け、思考を追いやります。
思考が生まれてきたら、また自分の身体に意識を集中させて音を鳴らします。
それを繰り返します。

2014年1月16日木曜日

マインドフルな1月16日

なにかを「聞く」あるいは「聴く」という行為に深く対峙してみます。
音楽を聴くといっても、じつは「聴き流し」ていることが多いのではないでしょうか。
人の話を聞くといっても、これも「聞き流し」たり、「言語情報」だけ受け取って聞いたつもりになってはいないでしょうか。
真剣に「聞く」「聴く」というのは、全身が耳になったかのように、思考を捨て、ただそれを感受することに集中することです。

マインドフルの練習(16)
鳴らしたときにある程度音が持続するものを用意します。
たとえばピアノとかメトロノームといった楽器でもいいですし、ガラスのコップや瓶でもいいでしょう。
仏壇のおりんやシンギングボールなどはより理想的かもしれません。
音をポーン(あるいはチーン)と鳴らします。
目を閉じます。
音を身体に染みこませるように、全身でその音を味わいます。
音が完全に消えて、身体からその余韻も消えるまで味わいつくします。

2014年1月15日水曜日

マインドフルな1月15日

感覚のひとつを遮断すると、それをおぎなおうとしてほかに感覚が鋭敏になる、という動物の習性があります。
人間にもあります。
目を閉じる、つまり視覚を遮断すると、その他の感覚――聴覚、嗅覚、味覚、触覚などが鋭敏になります。
このことを利用して、感受性をたかめる訓練ができます。

マインドフルの練習(15)
安全で落ちつける場所と時間を確保します。
静かにすわり、自分の呼吸に意識を向けます。
落ちついたら、目を閉じ、音に注目します。
聴覚を意識し、いま聴こえる音だけに集中します。
なにが聴こえるでしょうか。
聴こえてくる音ひとつひとつに意識を向け、しっかりと感受します。

2014年1月14日火曜日

マインドフルな1月14日

現代人は自分に必要な情報以外は「無視」する訓練をたえずおこなっています。
学校教育でも「注意をそらすな」「集中しろ」と、目の前のものごとにのみ注意を向けることをうながされます。
その結果、自分の都合にそって情報を取捨選択する「癖」を身につけてしまい、自然なありようの自分も他者も環境もそのまま受け入れることができない状態になってしまっています。
とてもゆがんだフィルターをたえず自分の目の前にかざして歩いているような状態といっていいでしょう。

マインドフルの練習(14)
仕事をしていても、電車に乗っていても、あるいは家でくつろいでいてもいいですが、すわっている状態でちょっと時間を取って、目を閉じてみます。
呼吸を感じ、そこから意識を離すことなく、なにが聴こえるか注意を向けてみます。
目を閉じることで、聴覚は鋭敏になります。
自分に必要な情報だけを取捨選択しようとしがちな視覚を遮断して、もの音だけにしばらく集中してみます。
なにが聴こえますか?
気づいたもの音を手帳に書きつけて、収集(コレクション)してみましょう。

2014年1月13日月曜日

マインドフルな1月13日

呼吸は運動です。
座っていても立っていてもいいんですが、静かに自分の呼吸に目を向ければ、胸や腹が動いていることがわかります。
呼吸とともに身体が動いているのです。
じつは人の身体はじっとしていてもどこも止まっている場所はありません。
全身が動きつづけている、そのことを呼吸を手がかりに感じることができます。

マインドフルの練習(13)
ゆったりと椅子に腰をかけます。
背もたれに背をあずけず、骨盤を座面に立て背骨をまっすぐのばすようにしてすわります。
ゆっくりと深さをこころがけて呼吸をします。
呼吸に意識を向けながら、自分のお腹や胸が動くようすを観察します。
上体全体がふくらんだり、すぼんだりするように動いていることを感受します。
それによって自分の身体が動いているさまを感じつづけてみます。

2014年1月12日日曜日

マインドフルな1月12日

まっすぐに立ち、両足をひとところに固定していても、人はゆるやかに身体を前後左右に揺らすことができます。
足の裏という狭い面積で全体重をささえていながら、なおかつ重心がある程度移動しても倒れない「遊び」があるのです。
そうやって「遊び」を確認しながら身体を揺するとき、身体の内側の奥深い部分で、バランスを取るための筋肉が無数に精妙に動いていることに意識を向けてみます。

マインドフルの練習(12)
リラックスしてまっすぐに立ちます。
足の裏を意識しながら、バランスをくずさない程度に重心を前後左右にゆっくりと動かしてみます。
身体全体がゆるりと前後左右に揺れる感じです。
足の裏にかかる体重が動き、身体の内側の筋肉が精妙にバランスを取るようすを、しっかりと観察してみます。
自分に身体がほとんど無意識に刻一刻と「立つ」という行為をサポートしてくれていることを感じることは、マインドフルネスの状態を作る役に立ちます。

2014年1月11日土曜日

マインドフルな1月11日

マインドフルネスの入口ともいえる呼吸は、全身と連動しています。
呼吸に呼応して全身が精妙に動いているさまを観察してみるのも、「いまここ」の自分につながることに有効です。
静かに呼吸しているときでもさまざまな筋肉が連動して動き、その影響は呼吸筋群以外にも波及していっています。
そのことに私たちはなかなか気づきにくいのですが、そこにしっかりと目を向けてみます。

マインドフルの練習(11)
リラックスしてまっすぐに立った状態で足の裏を意識します。
体重が足の裏全体に乗っていることを感じます。
そのまま息をゆっくり吐いていき、吐ききったらまた吸っていきます。
呼吸とともに足の裏の感覚がどのように変わるのか、呼吸に全身が精妙に呼応している状態を、足の裏の感覚で知ることができます。

2014年1月10日金曜日

マインドフルな1月10日

マインドフルネスは自分自身の「いまここ」につながることです。
その入口として呼吸を意識することがもっとも有効ですが、マインドフルネスの意識が深まってくると呼吸からはじまってさまざまなことを同時に体認できるようになります。
たとえば、足の裏。
ふだん、私たちはあまり足の裏を意識することはありませんが、足の裏は人の全存在をささえている大事な場所です。
かんがえてみてください、60キロの体重の人は、足の裏のあの狭い場所に60キロという質量をすべてあずけているのです。

マインドフルの練習(10)
自然に立ちます。
背中が反り返ったり、お腹を突き出したりしないように気をつけて、ゆったりと自然に立ちます。
足の裏に意識を向けてみます。
どんな感じがしますか?
足の裏全体に体重がまんべんなくかかるようにして、足の裏が全体重を床に押しつけている感じを観察します。

2014年1月9日木曜日

マインドフルな1月9日

人によってかなりばらつきはありますが、いずれにしてもだれもがほぼ一定のリズムで呼吸しています。
吐いて吸って、吐いて吸って、吐いて吸って……
意識していませんが、身体は自動的に呼吸をおこなって、生命を維持してくれています。
一分間に8回から12回くらいが平均的な呼吸数ですが、それより少ない人も、もっと多い人もたくさんいて、まったく特殊ではありません。

マインドフルの練習(9)
自分の呼吸を数えてみましょう。
ゆっくり吐いてから、ゆっくり吸う。
これで1回です。
しっかりと数えながら、自分の呼吸に目を向けましょう。
10回数えたとき、何秒くらいかかったのか、時間をはかって手帳に書いておきます。
ちなみに私は10回呼吸するのに66秒かかりました。

2014年1月8日水曜日

マインドフルな1月8日

深呼吸など、深く呼吸しようと意識したとき、ときに吸うほうからはじめてしまう人が多いようです。
ラジオ体操や学校教育の影響だと思われますが、鎮静をもたらす呼吸のためには吸うより吐くほうからはじめるほうが効果的です。
肺にたまっている古い空気を全部吐ききったあと息を吸うと、肺は新鮮な空気で満たされます。
吸うほうからはじめると、肺にたまっている古い空気に新しい空気を継ぎ足す形になってしまいます。

マインドフルの練習(8)
鼻腔を出入りする空気をしっかりと観察しながら、肺からゆっくりと空気を吐きだします。
吐ききったら、今度はゆっくりと空気を吸っていきます。
鼻腔や気管支を空気が流れ、肺全体がふくらんだりちぢんだりするさまをつぶさに観察します。
そのときあなたの意識は「いまここ」にある自分の身体に向けられているはずです。

観察以外の余計なかんがえは頭の外に追いだしましょう。

2014年1月7日火曜日

マインドフルな1月7日

呼吸は運動です。
筋肉が収縮したり弛緩したりすることによって、肺に空気が出たりはいったりします。
肺という器官そのものは筋肉ではなく、いわば袋のようなものですから、それ自体動くことはできません。
肺を囲んでいる骨格と筋肉が動くことによって、肺のなかの空気が絞りだされたり、空気がはいってきたりするのです。
それは運動そのものです。
呼吸という精妙な身体の動きにしっかりと注意を向けてみましょう。

マインドフルの練習(7)
みぞおちのあたりに手をあてたまま、ゆっくりと息を吐きだします。
肺が収縮して、二酸化炭素を多く含んだ暖かく湿った空気が鼻腔から出ていくのを観察します。
吐ききったら、今度はゆっくりと息を吸います。
肺が膨張して、新鮮な酸素を含んだ冷たい空気が鼻の穴から鼻腔の奥、そして肺を満たし胸やお腹がふくらむようすを観察します。

2014年1月6日月曜日

マインドフルな1月6日

呼吸筋という単独の筋肉はありませんが、呼吸にはさまざまな筋肉が連動して関わっています。
息を吸うときに使う外肋間筋、横隔膜、息を吐くときに使う内肋間筋、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋など、たくさんの筋肉群がいちいち意識することなく連動して動いてくれています。
人のからだのすぐれた働きのひとつですが、ときには自分の身体の働きに注目してみましょう。
自分の身体を意識することもマインドフルネスの一部です。

マインドフルの練習(6)
みぞおちの下あたり、胃があるあたりに片手、あるいは両手の掌をあて、ゆっくりと呼吸してみます。
その部分が動くのがわかりますか?
もしその部分があまり動かず、みぞおちより上の胸や肩ばかりが動いてしまうようなら、みぞおちの下の部分に息を吹きこんだり、そこから空気をしぼりだすような意識をして動かしてみてください。
自分のからだが繊細に、精密に動くさまを、掌から感じとってみましょう。

2014年1月5日日曜日

マインドフルな1月5日

世の中にはさまざまな呼吸法が提唱されています。
あまりにもたくさんありすぎて、「呼吸法」と聞いただけで立ちすくんだり、いかがわしさを感じたりしてしまう人も多いようです。
むずかしくかんがえる必要はありません。
とてもシンプルな呼吸でかまいません。
まずは自分の呼吸を意識すること、そこがマインドフルの入口になります。

マインドフルの練習(5)
息を吸うとき、自分の鼻の穴からはいってくる空気を観察してみましょう。
自分の体温より低い空気が鼻の穴をとおって鼻腔へと流れこんでいくようすをつぶさに観察してみます。
この時点で「呼吸法」というようなことばは意識しなくてかまいません。
ただ息を吸い、はいってくる空気を観察するだけです。
そのときなにか気づいたことがあれば、手帳に書きとめましょう。

2014年1月4日土曜日

マインドフルな1月4日

マインドフルの入口である気づきの呼吸はだれにでもできます。
だれにでもできる簡単なものからはいっていって、それをさらに緻密に注目できるようになれば、マインドフルネスの密度もあがっていきます。
呼吸への注目を高めていってみましょう。

マインドフルの練習(4)
息を吐くときに、自分の鼻の穴から出ていく空気を観察してみましょう。
肺であたためられ、湿度が加えられた空気が、鼻腔から鼻の穴へと出てきます。
ゆっくりと息を吐きながら、空気が鼻腔をとおって鼻の穴から外へと出ていく様子を、できるかぎり緻密に観察してみましょう。
なにか気づいたことがあれば手帳に書いておきましょう。

2014年1月3日金曜日

マインドフルな1月3日

マインドフルネスとは自分自身の「いまここ」に気づきつづけることです。
その気づきのもっともシンプルで堅牢な入口が、呼吸です。
自分自身に気づきつづけるために、まずは自分の呼吸に気づくこと。
呼吸に気づけば、そこから自分全体のありように気づくのはもうすぐそこです。

マインドフルの練習(3)
静かにすわり、息をゆっくりと吐きます。
無理して吐ききる必要はありませんが、ゆるく吐ききったら、自然に空気が肺にはいってくるに任せるようにして息を吸います。
これで1回、です。
まずは10回、落ち着いてかぞえてみましょう。
そのことを手帳に書きとめておきましょう。

2014年1月2日木曜日

マインドフルな1月2日

手帳には「今日やらなければいけないこと」のリストを書く欄があったりします。
なければ作ってもいいですが。
たとえば「ゴミ出し」「図書館に本を返却する」といったことがリストになっているわけです。
これを「やらなければいけない」と思っていると、自動的に身体は抵抗を示します。
人の心理はそのようにできています。
この「やらなければ」を「やりたい」に変えることができれば、用事はどんどん片付くわけです。

その魔法のような方法(魔法ではありませんが)。
「ゴミ出し」をする自分のニーズを見つけます。
なぜ自分はゴミを出す必要があるのか。
たとえば「清潔のニーズ」とか「生活の快適さのニーズ」といったことです。
自分のニーズを満たすためにおこなうことは、「やりたい」ことになります。
自分の生活の快適さのニーズを満たすために、ゴミを出したい、となります。

約束を守ること、誠実さのニーズを満たすために、図書館に本を返却したい、となるわけです。
自分のニーズを満たすためにすぐに身体が動きはじめます。

自分の「いまここ」の必要性を見つけるには、マインドフルネスがとても有効です。
マインドフルネスを実践し、いまこの瞬間に自分が必要としていることを丁寧に見ていきます。
それは自分に共感し、自分が生きる時間を大切にするプロセスでもあります。

マインドフルの練習(2)
静かにすわり、手帳に「今日やらなければいけないこと」を書きだします。
それを見ながら、それらは自分のどんなニーズにつながっているのか、自分に聞いてみます。
ゆっくり呼吸をして、自分自身の「いまここ」のありようを感じ、必要性を見つけます。
見つけたら手帳のリストの横に自分のニーズを書きとめます。

2014年1月1日水曜日

マインドフルな1月1日

人は大脳が飛躍的に発達した動物なので、他の動物とは違って、記憶、想像力、言語による思考やコミュニケーション能力を持ちました。
それによって文明を発達させ、とくに産業革命以降、強大な物質的発展を爆発させました。
しかしそれによって人々は幸せになったでしょうか。

たしかに食べるものや住む場所を心配することなく、日々安全に暮らしていけるようになった者は多くいます。
しかし、今また大きな格差がうまれ、紛争と不安が蔓延しています。

記憶、想像力、ことば、どれをとっても大切なものですが、ときにそれらが人の自然なありようを阻害することがあります。
まだ起きてもいないことに不安をつのらせる。
すでに起こってしまっていまさらどうすることもできないことをあれこれ思い返し、鬱々した気分におちいる。
ここではないどこか遠くにいる人のこと、どこか遠くで起こっていることに思いをはせて、せきたてられたような気持ちになる。
いずれも「いまここ」の自分と自分を取り巻く世界のことに「気づいていない」状態です。
心ここにあらず、という状態といってもいいでしょう。

ときには想像したり思考することも大事ですが、人が幸せを感じたり、能力を最大に発揮するためには、「いまここ」の自分につながっている必要があります。
いま自分が呼吸をして、生命活動をおこない、世界のなかでイキイキと存在している、そのことに注目し、気づきつづける状態。
これを「マインドフルネス」といいます。

日々マインドフルネスを心がけることで、人は幸せを感じます。
自分らしくイキイキとしてきます。
コミュニケーションも仕事も、生活における必要事も、いまここに意識を向けつづけておこなうことで、最大のパフォーマンスを発揮できます。
しかし、マインドフルネスは現代人にとってやっかいな側面もあります。
だれもがすぐにマインドフルに日常をすごせるわけではありません。
マインドフルに毎日をすごせるようになるためには、ある程度の練習が必要です。
それほど我々現代人はさまざまなことにこころを奪われつづけています。

練習のために「マインドフル手帳」を作りましょう。
どんな手帳でもいいのです。
ノートでもかまいません。
私は市販のシステム手帳を使っています。

さて、今日はマインドフルの練習の最初の日です。
自分が落ち着ける場所に静かにすわって、手帳を開いてみましょう。
そして手帳のページを見ながら、「いまここ」の瞬間の自分自身に意識を向けてみましょう。
どんな感じがしますか?
快適ですか? それともなにか痛いところがありますか?
なにか聞こえますか?
どんなことでもかまいません、自分自身に意識を向けたこの瞬間になにか気づいたことがあれば、それをまず書きつけてみましょう。

マインドフル手帳は毎日つけてください。
一日に一回でいいです、数回でもかまいませんが、まずは一日一回、欠かさずつけるように心がけます。
私がそのお手伝いをしましょう。
毎日一回、マインドフルのことをみなさんが思いだせるように、このブログにヒントを書きましょう。
でははじめましょう。

マインドフルの練習(1)
静かにすわり、耳をすます。
なにか聞こえたら、その音のことを手帳に書きとめる(それ以外のことでもなにか気づいたことがあれば書いてみましょう)。