2014年11月30日日曜日

マインドフルな11月30日

友だちはたったひとりかふたりいるだけでありがたいものですが、ひとりも友だちがいない人もきっといることでしょう。
その人は不幸なのでしょうか。
人の幸福/不幸は友だちがいる/いないで決まるものではありません。
ましてや友だちの数の多寡で決まるものでもありません。
友だちがひとりもいなくても、自分がいまここにいて、自分の存在価値に気づいていられること、やりたいことがあって夢中でそれに取りくむ時間があること、そういうことがその人を輝かせてくれます。
また、友だちがいたとしても、ときに孤独になって自分自身を味わうことは大切なのです。

マインドフルの練習(336)
両手になにも持っていない状態で階段をあがってみます。
リュックなどは背負っていてもかまいません。
両手の指は力を抜いていると思いますが、あえてピンと力をいれて張ってみます。
指を張ったまま、階段をのぼります。
そのあと、今度は指の力を抜いて階段をのぼりなおしてみます。


感じは変わりましたか? とくに身体全体の感じに注意を向けてみてください。

2014年11月29日土曜日

マインドフルな11月29日

いまはフェイスブックやLINEなどのSNSで多くの人と知り合い、つながりあうことができる時代です。
私のところにも毎日のように「友だち申請」が来ます。
一度も会ったことのない人とも「友だち」になってしまいます。
やっきになって「友だち」の数を増やし、孤独をまぎらわせようとする人もいるようです。
しかし、それはほんとうの「友だち」でしょうか。
じつをいえば、私にはほんとうの友だちといえる人はとても少ないのです。
ひとりか、ふたり、でも彼らとはたとえ何年も会わなくても、ほとんど連絡を取らなくても、見えないつながりを感じていて、そのたったひとり、ふたりがいるということが、私に暖かさをもたらしてくれます。

マインドフルの練習(335)
片足立ちになります。
そしてあげたほうの脚を、膝を折りながら、太ももをできるだけ胸に近づけます。
バランスを取りにくくなってグラグラするかもしれませんね。
そのとき、手はどうなっていましたか? 忘れていたり、おろそかになっていたかもしれません。
つぎに、両手をしっかりと開いて、指先まで力を通すようにして、おなじことをやってみてください。
安定感は変わりましたか? それとも変わりませんか?

2014年11月28日金曜日

マインドフルな11月28日

マインドフルでいるということは、自分自身とまわりのことに気づきつづけているということです。
人混みを歩いているときでも、自分とまわりの状況がクリアに把握できています。
困った人がいればすぐに気づくし、ふらふら歩いている人にこちらからぶつかるようなことはありません。
転んで怪我をすることも少なくなるでしょう。
混雑した駅構内を歩いていて、人とぶつかりそうになることが増えているように感じるのは、歩きスマホのせいばかりではないかもしれません。
マインドレスな人が増えているような気もします。

マインドフルの練習(334)
冷たい金属やプラスチックのペンを用意します。
腕まくりして、手のひらを上に向けます。
ペンを指先のほうから手のひら、手首、腕の内側のほうへと、ゆっくりと転がしてみます。
冷たさを感じ、それが移動していくようすを観察してください。

2014年11月27日木曜日

マインドフルな11月27日

電車に乗ると人々は一様にうつむき、スマホの画面に顔を埋めている光景があります。
歩きながらメールを打ったり、ゲームなどの画面を見ている人もいます。
人に文句をつけるつもりはないんですが、私自身はそのようなふるまいはよそうと決めています。
マインドフルにもなれませんし、なによりまわりに注意を向けられないからです。
思いがけない危険があってもそれを避けられないばかりではなく、なにか困った人がいてもそれに気づくことがありません。
お年寄りや身体の不自由な人、妊婦さんが電車に乗りこんできても、気づかないまま席を占領しているようなことはしたくないと思うのです。

マインドフルの練習(333)
長くおなじ姿勢をしていて身体がこわばってしまったとき、身体をのばしますが、そのとき、自分の身体がのびていくようすを観察します。
ぱっと全身をのばしてしまうのではなく、こわばりを感じている部分に注意をむけながら、まずその部分だけをゆっくりのばしてみます。
それから徐々に身体全体をのばすようにしてみましょう。

2014年11月26日水曜日

マインドフルな11月26日

私たち人間は——いや、人間に限らずすべての生きとし生けるものは——日々変化しつつある存在です。
それを、日々死に近づき、日々老化し、生命が劣化していくととらえるか、日々経験を重ね、日々成長しているととらえるか、さまざまなかんがえかたがあるでしょう。
どちらも事実です。
どちらにもいえるのは、私たちは毎日、変わりつづけているということです。
毎日、なにひとつとして、まったくおなじおこない・経験はありません。
歯をみがくことひとつとっても、昨日と今日とではちがうのです。

マインドフルの練習(332)
なにか作業をしていて(たとえばパソコンに向かっていて)長くおなじ姿勢でいると、身体をのばしたくなります。
そのとき、実際に身体をのばす前に、自分の身体がどのような感じになっているのか観察してみます。
どこかにこわばりやとどこおりを感じますか? あるいはなにも感じませんか?

2014年11月25日火曜日

マインドフルな11月25日

あなたがいま30歳だとします。
それを2 で割ると15になりますが、15歳のときの自分を思いだしてみてください。
15歳の自分と30歳の自分とでは、どのように違いますか? あるいは違いませんか?
大きく変わってしまったところ、すこし変わったところ、全然変わっていないところ、いろいろあるかもしれませんね。
いずれにしても、人はだれしも、まったく変わらないまま歳を重ねることはできないということですし、過去の自分といまの自分を比較してみることもあまり意味のないことだということです。

マインドフルの練習(331)
右手で左の人差し指をぎゅっと握ってみます。
どんな感触ですか?
つづいて、左手で右の人差し指をぎゅっと握ってみます。
どんな感じですか?

2014年11月24日月曜日

マインドフルな11月24日

なにか心配事があると、発揮できる能力がいちじるしく低下します。
仕事や生活の必要なことがとどこおったり、うわのそらになってしくじったりします。
なので、いまここの自分自身に立ちもどりマインドフルネスを心がけるわけですが、それは心配事を無理になかったことにしたり、忘れてしまうことではありません。
いまこの瞬間の自分が必要としていること、自分がいますぐできることにつながるために、マインドフルネスが有効である、ということです。

マインドフルの練習(330)
携帯電話などの電子アラーム音は、鳴ってもどこから聞こえてくるかよくわからないときがあります。
その音を使って練習をしてみます。
アラーム十秒とか二十秒とかみじかめにセットして、部屋のどこかに置きます。
そこから離れたところに移動し、ケータイに背を向けて目をとじます。
アラームが鳴ったら目を閉じたままケータイの方角を向き、できるだけ正確にどこから音が聞こえたのか指をさしてみます。
目をあけて、実際にケータイのある場所を確認します。

2014年11月23日日曜日

マインドフルな11月23日

ネットを見ていると、よく、「あなたの英語学習法は間違っている」とか「◯◯ダイエットは効果なし」といった記事を見かけます。
けっこうセンセーショナルだったり、こちらに不備があるような気分にさせられて、つい読んでしまいますし、記事が拡散されるスピードも早いようです。
しかし、こういう記事にはどこか人を脅すようなところがあって、その目的はなんだろうとかんがえると、あまり全面的に信用するのはどうかと思うこともあります。
なにかをよかれと思って人に伝えるとき、自分もついそのようなもののいいかたをしていないかどうか、気をつけたいところです。

マインドフルの練習(329)
子どものころ、パンを入れるようなビニール袋や紙袋を息でふくらませ、それを「ポン」と手で割って遊びました。
それと同じことをやってみましょう。
ただし割る必要はありません。
いっぱいにふくらませるその過程の、袋と自分の呼吸袋(肺ですね)の変化のようすを、しっかりと観察してみてください。

2014年11月22日土曜日

マインドフルな11月22日

感情が過度にあらわれているとき、私たちは本来の能力を出しきることができません。
つまり、感情に支配されることによってパフォーマンスが低下するのです。
過度な怒り、悲しみ、いらいらといった感情にとらわれているとき、私たちの行動は本来の能力をそこなったものになります。
感情から距離をおき、それを観察することで、冷静さを取りもどし、自分本来の能力を発揮できるようになります。
感情を悪者扱いする必要はありませんが、うまく距離を取る方法を身につけたいものです。

マインドフルの練習(328)
まっすぐ立って、両腕を前へならえの要領で前にのばしてみます。
そのまま、身体全体の感じを観察してみてください。
それから、のばした手の指をピンと張り、さらに先のほうへとのばしてみてください。
つぎに 腕はそのままで張った指の力だけを抜いてみてください。
身体全体の感じがどのように変化するのか、観察してみます。

2014年11月21日金曜日

マインドフルな11月21日

「私が私である」という感覚や、なにかできごとに接して感情が生まれたり、自分の意志でものごとをおこなったりするのは、私たちに「こころ」あるいは「自我」があるからだといわれています。
そのメカニズムは近年の脳科学や心理学の進歩でかなりわかってきていますが、しかしそれがわかったからといって自分自身のこころの動きをコントロールできるものではありません。
私たちは自分のこころの動きを予測することができません。
しかし、いまこの瞬間に起きているこころの動きを知ったり、観察することは、訓練によって可能になります。
そうすることによって、感情に支配されがちな自分の行動をあきらかにすることができます。

マインドフルの練習(327)
ひらがなの中から好きな文字をひとつ、選びます。
つぎに、手帳でもノートでも、コピー用紙でもチラシの裏でもなんでもかまいません、紙のうえにその文字をペンや鉛筆でできるだけ大きく書きます。
そのとき、紙いっぱいになるように、同時に自分の心持ちもできるだけ広く大きくして、のびのびと書いてみましょう。

2014年11月20日木曜日

マインドフルな11月20日

日常でのコミュニケーションで私たちはけっこうひんぱんに「反射的な受け答え」をやってしまっています。
「おはよう」とか「行ってきます」「行ってらっしゃい」とか「お疲れさん」といった常套句をほとんど無意識に使っていますが、ときに立ちどまってその言葉を発する意味、気持ち、状況に目を向けなおしてみるのもいいでしょう。
そうすると思いがけないことに気づくこともあるかもしれません。
「行ってらっしゃい」という言葉のなかに相手の無事を思いやり、自分の安心を願うこころがあることに気づくかもしれないですね、そしてそのことをつい忘れがちなことにも。

マインドフルの練習(326)
座っていても立っていてもかまいませんが、上体を起こした姿勢で片腕をまっすぐ前にのばしてみます。
肘をのばし、手首もまっすぐにして、指が自分からできるだけ遠くに向かうようにのばしてみます。
どんどんのばしてみると、思っていたより腕が長いことに気づくかもしれません。
自分の腕がいちばん長くなった状態を味わってみてください。
片腕が終わったら、反対側の腕もおなじようにしてみましょう。

2014年11月19日水曜日

マインドフルな11月19日

「頭の回転が速い」とか遅いとか、よくいいます。
「あの人の返事は打てば響くようで、頭の回転が速いんだね」というようなことをいいます。
私も割合、返事がすばやく、頭の回転が速いと人からいわれることがあります。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
今日、散髪するときにシャンプーしていて、「お湯かげんはいかがでしょうか」ときかれました。
私は即座に「だいじょうぶです」と答えたんですが、質問の「いかが」あたりでもう返事をしていました。
ただ反射的に、よくかんがえもせずに答えていたことに、あとで気づきました。
これは頭の回転が速い/遅いとは関係のない話ですね。

マインドフルの練習(325)
眼鏡でもボールペンでも、あるいはほかのなんでも、手近にある小物を手に取り、目の前にかざします。
それをじっくり見つめてください。
色や形をしっかりと目に焼きつけてください。
それからまぶたを閉じます。
ひと呼吸、ふた呼吸、ゆっくり息をかぞえてから、目をあけます。
さて、ふたたび目にする小物は、先ほどとまったくおなじように見えますか? それともちがった感じがしますか?

2014年11月18日火曜日

マインドフルな11月18日

自分の弱点、苦手意識があること、怪我、病気、なんらかのとどこおりには、それを克服するとか無視するとかねじふせるというより、「付き合う」という心持ちがいいかもしれません。
どんな人でもさまざまな側面があります。
強い面も弱い面も、得意なことも苦手なこともあります。
それはどんなに人よりひいでているように見える人にも、強く見える人にも、自分にはとてもかなわなさそうに見える人にもあります。
もちろん自分自身にもあります。
自分も他人も丁寧に見ていけるといいと思います。

マインドフルの練習(329)
手近にある本を一冊、手に 手に取ります。
途中のページを一枚えらんで、親指と人差し指ではさんでみます。
その感触を味わいます。
つぎにもう一枚足して二枚にしてはさんで、またその感触を味わいます。
さらに一枚足して三枚に、そして四枚に、五枚にと、一枚ずつ増やしていって、そのつど感触を味わってみてください。

2014年11月17日月曜日

マインドフルな11月17日

なにか苦手なことがあるとき、たとえば料理が苦手だとしましょう、あることが「苦手だ」という意識は、自分自身にたいする一種のレッテル張りとなります。
自分にたいするある種の決めつけは、それをおこなってしまうことで自分自身の能力を限定的にしてしまいます。
「苦手だ」と決めつけるのではなく、自分のなにがいったいそれをすることにたいして不安や嫌悪をおぼえたり、足がすくんでしまうのか、そこにとどまって観察してみる必要があります。
「苦手」とか「得意」というラベリングではなく、自分がそれをどのようにおこなうことができるのか、あるいはおこなうことができないのか、自分を知ることが大切です。

マインドフルの練習(328)
手近にある本を一冊、
手に取ります。
どんな本でもかまいません。
それを手に取ったら、どこでもかまわないのでパッとページを開いてみます。
たまたま開いたページの、いちばん右上にある文字を確認します。
私の場合は、いま、「な」でした。
ただそれだけのことを、なにもかんがえずに何度かやってみます。

2014年11月16日日曜日

マインドフルな11月16日

どんな人にでも弱点はあります。
弱点のない人などひとりもいません。
弱点は対人関係において露呈したり、仕事や生活のなかでのおこないで「とどこおり」となって現れてきます。
そんなふうに弱点があらわになったとき、人はそれを克服しようとして弱点を埋めるためにトレーニングしたり、弱点が現れるような関係や行為を避けたり、あるいは無視してなかったことにしようとします。
弱点が見えたとき、それをどうにかしよう、あるいは無視しようというのではなく、まずはただそこにとどまってその存在をじっくりと味わってみる必要があります。

マインドフルの練習(327)
眠くなってきたとき、横になる前にちょっと観察してみましょう。
眠いとき、身体はどんな感じになっていますか。
身体全体と部分に注意をはらい、眠気がやってきたとき、どのような変化がおとずれるのか、しばらく観察してみます。

2014年11月15日土曜日

マインドフルな11月15日

すべての人は、たとえどんなに投げやりに見えたとしても、最善を尽くして生きています。
人生や社会に失望し、自暴自棄にふるまっているように見えたとして、それはその人なりの表現の方法であって、その人にとってはそれが最善の「戦略」であるからそのようにふるまっているように見えるだけなのです。
こちらにとって都合が悪いようにふるまう人、社会的に「悪」だと規定されている行動を 取る人、こういう者たちも、なにか切実なものがあってそのような「戦略としてのふるまい」を選択しているのです。
そこに想像力を持てるかどうかが、柔軟性の問題として問われます。

マインドフルの練習(326)
お腹がへってなにか食べたくなったとき、ちょっと待ってください。
お腹がへっている状態を観察してみるいいチャンスです。
お腹がへった、という自分の身体の状態を、じっくりと注目してみたことはありますか?
どこがどのような感じになっていますか?
じっくり観察してから、ゆっくり食事に取りかかってください。

2014年11月14日金曜日

マインドフルな11月14日

自分の活動や努力にたいする「報い」を自分の外側――金銭、名声、勝利など――に求めると、たとえそれが一時的に満たされたとしても、本当の満足はありません。
本当の満足は自分の内側にしかないもので、自分が努力することによって成長できたことの喜びや、自分の活動が十全におこなえたことにたいする自分自身の祝福によってしかもたらされません。
そのとき初めて「努力は報われる」という言葉が意味を持つのです。

マインドフルの練習(325)
喉の渇きを覚えたとき、水とかほかの飲み物が飲みたくなります。
そのとき、なにか飲む前にちょっと「喉の渇き」そのものを観察してみましょう。
「喉が渇いている」あるいは「喉の渇きを覚えている」というのは、具体的にどのような状態なのでしょう。
どこがどうなっているから「渇いている」と感じるのでしょうか。
充分に観察したら、ゆっくりと飲み物を飲み、渇きがいやされていくのを観察してみます。

2014年11月13日木曜日

マインドフルな11月13日

「努力は報われる」というようなことをよく聞きます。
あるいは「努力は必ずしも報われるとはかぎらない」とか。
それはいいんですが、この場合の「報われる」とはどういう状態をさしているんでしょうか。
つまり「努力」にたいする「報い」とはなにか、ということです。
ある人にとってはお金かもしれません、名声かもしれません、勝負に勝つことかもしれません、しかし、これら外部評価的な報いは、本当に報いとして満足できるものなのでしょうか。
本当の意味で報われるとは、自分の内側の問題ではないかと思っています。

マインドフルの練習(324)
気温がさがり、乾燥ぎみになると、手がかさつき、ハンドクリームを使うことがあるでしょう。
私はこの季節、年齢のせいもあるかもしれませんが、手がかさつきがちなので、ハンドクリームはけっこう愛用してます。
それを手に塗るとき、どのように塗っていますか?
ある部分にまずクリームを置き、それを塗り広げていくのではないかと思いますが、いつもなにげなくやっているその方式を、あらためて注意しながら、丁寧にやってみてください。

2014年11月12日水曜日

マインドフルな11月12日

たとえば、楽器が上手に弾けるようになりたいなあ、と思ったとします。
ある人は毎日、ほんの五分間ですが、欠かさずに練習をしつづけます。
ある人は、いつか時間ができたら一日中没頭して練習しよう、と思いつづけます。
どちらが自分の望むことを達成できるでしょうか。
この状態で一年たったら、あるいは五年、十年たったら、このふたりの差はいかほどになるでしょうか。
容易に想像がつきますね。

マインドフルの練習(323)
食べるのが面倒くさいものは、マインドフルネスの練習にうってつけです。
たとえば、カニを食べるとき、いろいろと面倒な手続きが必要ですが、おいしさをもとめて夢中になって取りくみます。
カニでなくても、栗をむいたり、ミカンをむいたり、ごはんをしっかり噛んで味わったり、ものを食べるときにはマインドフルネスの練習のチャンスがたくさんあります。

2014年11月11日火曜日

マインドフルな11月11日

なにごとかを達成して、こちらから見るととんでもない高みに達した人をまぶしく見上げることがあります。
とても自分にはそのようなことはできそうもない、あの人はすごい人だ、特別な人なんだ、というふうに思ってしまいます。
自分とその人とはなにが違うのでしょうか。
特別なところに達した人は、ただコツコツとなにかを積みあげて、ひたすら持続的な成長をつづけて、気がついたらその場にいたっていた、ということではないでしょうか。
自分とその人のあいだには、じつはほんのわずかな違いしかないのかもしれません。

マインドフルの練習(322)
まっすぐ立ちます。
そのまま首を曲げて、自分の爪先を見てみます。
しばらく観察してください。
つぎにそのまま上を向いて、天井なり空なりを見ます。
なにが見えるか、しばらく観察します。
最後にまっすぐ前を向いて、自分の前方に広がる景色を見てみます。
どんな感じがしますか?

2014年11月10日月曜日

マインドフルな11月10日

死ぬまで成長しつづける人と、ある年齢から成長しなくなる人がいます。
自分の安心や安全のニーズを大切にしすぎるあまり、未知の試みに踏みだすことをしない、あらたな経験を避けようとする人は、成長しません。
自分自身が変化することに好奇心を持つ人は、未知の領域に勇気を持って踏みだし、成長しつづけます。
たとえわずかな成長でも、成長せずにとどまっている人との差は、日々少しずつ広がり、やがては大きな差となって顕著になります。
どちらの生き方を選ぶかは、あなたしだいです。

マインドフルの練習(321)
胸の前で腕を組んでみましょう。
どちらの腕が上になりますか?
私は左腕が上になります。
それを組みかえてみてください。
私の場合なら、右腕が上に来るようにして腕を組みかえてみます。
どんな感じがしますか?

2014年11月9日日曜日

マインドフルな11月9日

自分が経験したことのないことをするのは勇気がいります。
なにが起こるかわからないからです。
しかし、未知の経験に踏みだすことでしか、人は成長できません。
すでに経験して知っていること、自分にとってなじみのあることは、何度でも安心しておこなうことができます。
しかし、そこに成長は——まったくないとはいわないまでも——ほとんどありません。
未知の経験に挑戦してみるチャンスは、日常生活のなかにもたくさんあります。
つまり、成長のチャンスはたえず訪れています。

マインドフルの練習(320)
いつものように帽子をかぶってみます。
ひょいとかぶり、ひょいと脱いでみます。
それから今度はゆっくりと、スローモーションで帽子をかぶってみます。
スローモーションで帽子を脱いでみます。
どんな感じがしますか?

2014年11月8日土曜日

マインドフルな11月8日

我々現代人は、自分がなにかをおこなうときにちょっとした違和感があったり、気の進まなさがあったとしても、それを無視して「えいやっ」とやっつけてしまうこともできます。
しかし、そのことであとで後悔したり、ずっと違和感を引きずっていたり、気になったり、微弱なストレスともいうべきものを抱えることになります。
すこしずつ積み重なっていったストレスは、結果的に大きなストレスとなり、「こんなはずじゃなかった」という場所にまであなたを連れてきてしまいます。
違和感や気の進まなさがあったとき、ちょっとそこに踏みとどまってみる注意深さと勇気がほしいものです。

マインドフルの練習(319)
まっすぐ立ち、両手をそろえて身体のわきにつけます。
右手を、まっすぐに伸ばした状態で、ぐるぐるとプロペラのように回してみましょう。
激しく回す必要はありません、ゆっくりと何度か、前回りと後回りで回してみます。
腕の動きとともに、身体のほうで重心が転換するのがわかるでしょうか。
右手で確認したら、今度は左手もおなじように確認してみましょう。

2014年11月7日金曜日

マインドフルな11月7日

自分自身を信頼できない、というマインドは「病い」だろうと私自身思うことがありました。
が、NVCトレーナーのジム・マンスキーからいってもらったのは、それは逆に「正直でありたい、誠実でありたい」という健康なこころが気づかせてくれたことなのだ、ということでした。
自分がどのように不誠実にふるまってしまうかについて気づくのは、その奥に誠実でありたいという気持ちがあるからです。
その気づきがあったとき、では実際にどのようにおこないを変えていくか、生きていく時間はその連続といえるかもしれません。

マインドフルの練習(318)
まっすぐ立ち、両手をそろえて身体のわきにおろします。
そろえたまま、前に後ろにと、ぶらぶら振ってみます。
腕が前後に動くにつれ、身体の感じがどのように変わるのか、足の裏に変化があるかどうか、重心が転換している感じがあるかどうか、じっくり見てみます。

2014年11月6日木曜日

マインドフルな11月6日

みなさんは自分のことを信頼していますか?
私はしばしば、自分のことを信頼できなくなります。
自分が自分を信頼できない、などと妙なことだと思うかたがいるかもしれませんが、本当のことです。
自分がどうふるまうのか、じつは自分では事前に知ることができません。
私たちは自分自身のふるまいを自分の意思で決めたり、コントロールしているように思いこんでいるかもしれませんが、そうではありません。
自分がどうふるまうかは、その瞬間、あるいは事後になってしか知ることはできないのです。
ときに自分自身に裏切られ、信頼をそこなうことがあります。

マインドフルの練習(317)
まっすぐ立ちます。
右手を身体の横で前後に振ってみます。
歩くときそうするように、前に、そして後ろに、無理のない自然な範囲で振ってみます。
つづいて左手もおなじように前後に振ってみます。
なにかちがう感じがしますか?

2014年11月5日水曜日

マインドフルな11月5日

自分の潜在的な能力を発揮し、最高のパフォーマンスをおこなうには、「笑み」が有効です。
仏像にもうっすらと笑みを浮かべているものが多いですが、あれは瞑想中にも外側からの情報を受け取る身体性をこころがけたとき、あのような表情になるのです。
しかめつらは外部からの情報をシャットアウトします。
すると「フロー」すなわち自分の身体内での情報の流れは止まります。
表情をゆるめ、外部からの情報を受け入れたとき、フローが生まれます。
フローはすべてを受け入れ、いまここの状態に気づきつづけ、なおかつ高度に集中している状態です。

マインドフルの練習(316)
手の親指と人差し指の腹をくっつけてみます。
右手も左手もおなじように同時にやってみます。
つづいて、右手の人差し指と左手の親指の腹を、そして右手の親指と左手の人差し指の腹をくっつけてみます。
最後に、右手の親指と左手の人差し指、右手の人差し指と左手の親指の腹をくっつけてみます。
それぞれどんな感じがするでしょうか?

2014年11月4日火曜日

マインドフルな11月4日

仕事にせよ、遊びにせよ、どんな人もなにかをおこなうときに、できるかぎりよりよく、高い質をもっておこないたいという望みがあるでしょう。
おこないの質を高めようとするとき、ついつい眉を寄せ、しかめつらになり、難しい顔をしてしまいがちだと思います。
まじめに、深刻に取りくんだほうが、なにごとも質が高くなるという思いこみがあるからです。
あるいは、へらへらと楽しみながらおこなったときに、だれかから「ふざけずにやれ!」とか「歯を見せるんじゃない」と怒られたことがあるのかもしれません。
しかし、本当に質の高いおこないは、深刻な顔つきからは生まれないのです。

マインドフルの練習(315)
両足を軽く開いて立ち、足の裏の感覚に注意を向けます。
その状態で、右手をゆっくり横に水平に、肩の高さまで、肘をのばしたままあげていきます。
足の裏の感覚に変化はありますか?
左手もおなじように試してみて、足の裏の感覚の変化に注目してみます。

2014年11月3日月曜日

マインドフルな11月3日

私たちの行動や思考は、いつもなにかしらもやもやしたものに邪魔されて、すっきりとクリアではありません。
かんがえや感情が邪魔をして、自分の本当に必要なこと、本当に喜びをおぼえていることを見えにくくしているのです。
いつも「いまここ」の自分の身体を感じ、マインドフルに自分自身のニーズを見る練習をしていると、ものごとはしだいにクリアになっていきます。
いまこの瞬間の自分に必要なこと、価値のあることがくっきりと見えはじめ、思考や行動もクリアになります。

マインドフルの練習(314)
せんべいを一枚、食べてみましょう。
パリポリと歯でかむと思いますが、そのとき、無意識に口を動かすのではなく、できるだけまんべんなく全部の歯を使うように試みてみます。
すべての歯を使って、まんべんなくせんべいをかみくだき、食べてみてください。

2014年11月2日日曜日

マインドフルな11月2日

自分がなにを大切にしているか、なにを必要としているか、どんなことに価値を置いているか、といったことをひとくくりにして「ニーズ」と称していますが、ニーズはかならずしもいつも満たされるとは限りません。
ニーズが満たされるとうれしくなったり、満足したり、落ち着いたりしますが、ニーズが満たされなくてもそれがそこにたしかにあると、その存在を確認できているだけで、落ち着きが生まれ、ものごとがクリアになります。
まだ満たされてはいないけれど、たしかに自分にはこのニーズがあるという認知が重要なのです。

マインドフルの練習(312)
落ち葉や紅葉の季節になりました。
道端でも公園でも庭でも、そのあたりに落ちている葉っぱを一枚ひろって、じっくり観察してみましょう。
そこにはどんな色がありますか? 何種類の色が確認できますか? 葉っぱはどんな形をしていますか? つるっとしてますか、ざらざらしてますか?

2014年11月1日土曜日

マインドフルな11月1日

自分が不幸になるもっとも近道は、人と自分を比較することです。
たとえば、なにか楽しいことをやっているとき、だれかと比較して「自分のほうが楽しい」と感じたとき、とたんに楽しさはシュンとしぼんでしまいます。
自分のほうがより楽しんでいて申し訳ない、という気持ちになります。
家族を留守番を頼んで外出するときなど、よくそういうことが起こるかもしれませんね。
しかし、実際には家族は家族で自分なりに楽しく時間をすごしているかもしれませんし、あなたのことをねたんでなどいないかもしれません。
家族にとっても、他人にとっても、そしてあなたにとっても幸せなのは、あなたがほかと比較などせずにもっぱら自分の楽しみに集中していることです。

マインドフルの練習(311)
音楽を聴いているとき、イヤホンでもスピーカーでもいいんですが、そのボリュームを徐々に絞っていってみましょう。
すこしずつボリュームを絞って音を小さくしていき、聴こえるか聴こえないかの限界まで小さくします。
その状態でしばらく音楽に耳をすませてみましょう。
どんな感じがしますか?
また、あなたの身体全体のなかで、音楽はどのような響いていますか?