2014年10月31日金曜日

マインドフルな10月31日

かんがえや社会的な都合ではなく、本当に自分がなにをやりたいのか、なんに喜びを感じているのかは、身体が教えてくれます。
なにごとかをおこなうときに自分が喜んでいるとき、身体はいきいきしています。
いまここにつながり、夢中で自分の能力をいっぱいに発揮し、のびやかに表現します。
それが生きていることであり、マインドフルネスであり、また成長の過程でもあります。
なにをやっていても、いつでも自分に聞いてみればいいのです。いま、いきいきした感じがあるかどうか、を。

マインドフルの練習(310)
道を歩いているとき、あなたの意識はどこにありますか?
ひょっとして過去のできごとを思い返していたり、思い出にひたっていたり、あるいはこれからやらなければならないことをかんがえていたり、まだ起こってもいないことを想像したりしていませんか。
そんなとき、あなたの意識は、頭のなかに閉じこめられており、また「いまここ」にすらいません。
「いまここ」にいるあなたの存在のことを思いだし、自分の全体を感じながら歩いてみてください。

2014年10月30日木曜日

マインドフルな10月30日

人間は自分自身の声を無視する名人です。
なにか苦しいことがあっても、その声を無視して、がんばろうとします。
なにか嫌なことがあっても、なかったことにして楽しくふるまおうとします。
しかし、本当は自分のなかでなにか不都合があるとき、そこにちゃんと目を向けてみれば、自分がなにをいおうとしているのか聞こえてくるのです。
自分の声が聞こえてくるのは、自分の弱い部分です。
だから、ついそれをなかったことにし、自分の弱さから目をそむけ、強がってどんどん前に進もうとするのです。
そのことによって自分自身をごまかしていることになかなか気づきません。

マインドフルの練習(309)
メモ用紙などの紙にペンや鉛筆で自分の名前を書いてみましょう。
まず、なにげなく、いつも書いているように、すらすらと書いてみます。
つづいて、ゆっくりと丁寧に、紙にあらわれる自分の名前の文字の形に注意を払いながら書いてみます。
最後に、書いている指や紙や視線だけでなく、自分の身体全体の感じをつかまえ、身体全体のなかで自分の名前を書くという行為がどのようにあらわれてくるのか注目しながら、書いてみます。

2014年10月29日水曜日

マインドフルな10月29日

なにかを学び、成長するためには、「〜しなければならない」「〜してはならない」という世界で苦しい努力をしなければならない、と思いこんでいる人がいます。
また、指導者のなかにもそのようなことを強要する人がいます。
あるいは、教育の場において、「こうしろ」「こうしてはならない」というガイドラインを明示したほうが教育しやすい、権威を示しやすい、ということもあるでしょう。
そのことによって教育に金銭的対価を設定しやすいということもあるかもしれません。
そのような社会の都合に合わせて自分の学びをおこなう必要はありません。
ただマインドフルに、夢中になっておこなうことが、人を成長させます。

マインドフルの練習(308)
ハサミでなにかを切ってみます。
広告チラシとかなにか、不要のものでかまいません。
紙を切るとき、ハサミを持つ手の動きや、紙とハサミを見る視覚に意識が集まっていると思います。
しかし、手の動きは身体全体と連動しており、視覚も全身の感覚とつながっています。
自分の全体を感じながら、もう一度ハサミで紙を切ってみましょう。
どんな感じがしますか?

2014年10月28日火曜日

マインドフルな10月28日

失敗すると懲罰がくだされる、あるいは、自分を痛めつけるほどに努力することを強要される教育を受けた経験があると、自分がなにか楽しいことをしているときに罪悪感をおぼえることがあります。
こんなに楽しんでいてはだめだ 、これでは上達しない、あるいはだれに対してなのかわからないけれどとにかく申し訳ない、という気分にとらわれます。
楽しむことに罪悪感を持ち、苦しんでいると逆に安心する人がたくさんいます。
それは外部の社会や教育によってもたらされた「悪癖」です。
すぐにそんな悪癖は捨ててしまいましょう。
楽しむ、夢中にやってやる、そのなかにしか人の成長はありません。

マインドフルの練習(307)
水、牛乳、お茶、コーヒー、なんでもいいですが、なにか好きなものを飲むとき、あるいは喉の渇きをおぼえてなにか飲むとき、あなたはその飲み物を飲むことを楽しんでいると思います。
そのとき、自分の意識はどこにありますか?
飲み物に向かっていますか? それとも味覚、喉をとおる感触、あるいは胃に落ちていく感じ?
飲み物を楽しみ、味わう意識を、身体全体に広げてみましょう。
あなたの身体がその飲み物を受け入れているのです。

2014年10月27日月曜日

マインドフルな10月27日

毎日がなんとなくもやもや、うつうつして、楽しくない、なにも熱中できるものがない、仕事もいやいやでやる気が出ない、という人がいます。
そういう人はおそらく、自分がもっともやりたくて、それをやっていると夢中になれて楽しくてしかたがない、ということにつながれていないのでしょう。
それがないわけではないのです。
どんな人にでも、自分がそれをやっている最中は夢中になれて、楽しくてわくわくする、ということがあります。
ただ、さまざまな理由から、そのことにつながることが阻害されている状態なのです。
どんな人にも、その人がいきいきと輝くシチュエーションがかならずあります。

マインドフルの練習(306)
あなたの一番好きな食べ物はなんですか?
ひとつでも、あるいは複数あるかもしれません。
それを用意して、食べてみます。
そのとき、あなたの感覚は、自分の好きな食べ物の味覚に集中していると思います。
でも、そこで一度呼吸を取りもどし、自分の身体全体の感覚を思いだしてみてください。
身体全体の感覚を意識しながら、好きな食べ物を食べてみます。
今度はどんな感じがしましたか?

2014年10月26日日曜日

マインドフルな10月26日

法律やルールを守るべき、守らない者は罰せられるべき、と思っているあなた自身も、ルールを破りたくなることはありませんか?
入院していた家族が危篤だ、という知らせがはいったとき、多少のスピード違反や信号無視をしたくなりませんか?
だれかが暴力を受けているのを見たとき、あなたも暴力で解決したくなりませんか?
子どもが高熱を出して苦しんでいるとき、病院の受付順番のルールを曲げてほしくなりませんか?
どんな人にでも切実な必要性があることがあります。
たとえそれが犯罪をおかす人であっても、です。
では、そんなときどうすればいいのか、が私たちにいま問われています。

マインドフルの練習(305)
鈴でもワイングラスでもカスタネットでもピアノでも、なにか音の鳴るものを用意します。
そしてそれを鳴らして、音を聴いてみましょう。
そのとき、耳と頭は音を聴いているけれど、身体のことを忘れていませんか?
身体全体に音をしみこませるようにして、身体全体を感じながら、もう一度音を聴いてみてください。
どんな感じがしますか?

2014年10月25日土曜日

マインドフルな10月25日

赤信号を無視して横断歩道を渡っていた人がいたとします。
私たちは普通、そのようにルールや社会法規を無視して行動する人がいたら、怒りを覚えたり、罰したくなります。
あるいは罰が与えられればいいのに、と願ったり思ったりします。
しかし、もしその人に、赤信号を無視する切実な必要性があったとしたら、どうでしょうか。
たとえばあなたからは見えなかったけれど、よちよち歩きの子どもがお母さんに気付かれないまま、ふらふらと道路に歩き出してしまっていて、それをあわてて救おうとした、とか。
ルールは人の生命や安全を守るものであって、それより優先されるべきものではけっしてありません。

マインドフルの練習(304)
テーブルの上になにか小さなものを置きます。
米粒でも十円玉でもなんでもかまいません。
それを指先でつまみあげてみます。
さて、その行為にたいして、あなたの身体全体はどのように働いていたでしょうか。
おそらく身体のことはすっかり忘れていたと思いますから、今度は身体全体のことを思いながらおなじように指先を使ってみてください。
どんな感じがしますか?

2014年10月24日金曜日

マインドフルな10月24日

社会の法律やルールは、人々の安全や安心を確保するための手段として決められています。
赤信号をみんなが勝手に渡ったら、交通の安全が確保できません。
しかし、忘れてはならないのは、ルールはあくまで「手段」であるということです。
安全・安心を守るための「手段」がルールを作ること「だけ」ではありません。
その手段がルールしかないという思いこみは、人間の関係性を硬直化させます。
また逆に、ルールをかたくなに守ることによって損なわれる安全・安心もまた存在する、ということです。

マインドフルの練習(303)
なにか文章を声に出して読んでみましょう。
手近にある新聞記事でも、お菓子の説明書きでも、小説でも、なんでもかまいません。
それを声に出して読んだとき、あなたは自分自身の身体全体のことを忘れていませんか?
あなたはひょっとして、文字と、それを読みあげるせいぜい口まわりあたりにしか存在していないことはありませんか?
身体全体の感じをつかまえながら、もう一度文字を音読してみましょう。

2014年10月23日木曜日

マインドフルな10月23日

あなたがルールを守りたいと思ったり、守らない人に怒りをおぼえるように、ルールを守らない人にもかならず理由があります。
どんな人も、瞬間瞬間、自分に必要なことをおこない、大切なことを守ろうとして生きています。
そうでない人はただの一人もいません。
たとえこちらから見てルールを破ることで規律や安全を破壊しているように見える人でも、その人にとってはルールを守らないことの切実なニーズがあるのです。
そこに思いを寄せられるかどうかが、人と人がよりよくつながれるかどうかの鍵になります。

マインドフルの練習(302)
我々はなにかを見るとき、「見る」という行為にいわばとらわれて、それ以外のことを忘れてしまいがちです。
なにかを見るとき、同時に身体のことを思いだしてみましょう。
たとえば、お茶をいれて湯のみから湯気が立つのを見る。
それを見ている自分自身の身体のことを思いだしてみましょう。
湯気を見ている自分自身の全体を感じながら、湯気を見ることができますか?

2014年10月22日水曜日

マインドフルな10月22日

ルールを守らない人がいると怒りをおぼえます。
不平等感だったり、安全が阻害される思いが強まったりして、怒りがこみあげるわけですが、さらにそのことで攻撃的になる人もいます。
攻撃性が極端に増大すると、危害を加えたり、暴力行為に走ったり、警察ざたになったりと、紛争が発生します。
しかし、攻撃によって安全が守られることはありません。
安全が守られ、お互いに安心するためには、相互につながりを持ち、お互いに理解しあい、尊重しあえる関係になることがもっとも確実な方法です。

マインドフルの練習(301)
食事のとき、ひとくちだけご飯を口にいれたら、箸とお椀をいったん置きます。
口のなかのご飯に注目し、かみます。
何度もかんでいると、その味や食感が変化していきます。
さらにかみつづけていると、こまかくかみくだかれたご飯は、いつのまにか唾液といっしょに飲みこまれ、口のなかからなくなっているでしょう。
その過程を、食事のときずっと、とはいいません、一回か二回でいいから、ためしてみてください。
これはほんのみじかい時間でできる食べる瞑想です。

2014年10月21日火曜日

マインドフルな10月21日

「あなたのためを思って……してあげてる」といういいかたがあります。
たとえば親が子どもにたいしてそのようなことをいうことがあります。
かんがえてみれば押しつけがましいいいかたです。
いわれたほうもあまりいい気はしませんし、感謝するとしてもどこかいやいやな部分があります。
いったほうはなにが必要でそんなことをいったのでしょうか。
相手から感謝されること?
純粋に相手の役に立ちたいと思ってやっていることなら、このようなことばは決して出てきませんね。

マインドフルの練習(300)
これは食べる瞑想のときのやり方ですが、ゆっくり食べる練習をしてみましょう。
ひと口食べるたびに箸を置きます。
箸も手に持ったお椀や入れ物なども、いちいち置いてください。
口のなかのものがなくなったら、また箸を取り、食べ物を口に運びます。

2014年10月20日月曜日

マインドフルな10月20日

自分がなにかをおこなったとき、それが相手に受け入れられるか拒否されるか、賞賛されるか批判されるかは、事後にしかわかりません。
まだ起こってもいなくてわからないことを予測して事前にあれこれ画策するのは、その瞬間に発揮されるべき自分の能力をいちじるしく阻害します。
トップアスリートにせよ、アーティストにせよ、パフォーマーにせよ、彼らがつねにマインドフルネスであることをめざすのは、自分の能力を最大限に発揮するためにほかなりません。
そのような特別な人でなくても、私たちも日常生活のなかで自分を最大限に 生かして生きていきたいのです。

マインドフルの練習(299)
洗面器に水を張ってもいいですし、蛇口から流れている水でもいいんですが、片方の手を冷たい水にしばらくつけておきます。
右手でも左手でもかまいません。
そのあと、タオルで水気をふいてから、両手を握りあわせてみます。
暖かいほうの手は冷たいほうの手を、冷たいほうの手は暖かいほうの手を、それぞれどのように感じるでしょうか。

2014年10月19日日曜日

マインドフルな10月19日

自分がもっとも能力を発揮できるのは、どういう状況においてでしょうか。
緊張していたり、萎縮していては、本来の能力を発揮できないことはいうまでもありません。
能力を発揮するためには、だれにもさまたげられず、人を評価を気にせず、のびやかに集中しておこなえることが必要です。
つまり、自分のおこないが完全に受け入れられるという信頼が必要なのです。
逆にいえば、だれかに能力を発揮してもらいたければ、余計な邪魔はせず、完全に信頼してそのおこないを受け入れる態度がもっとも効果的、ということです。

マインドフルの練習(298)
湯のみにお茶をそそぎ、まずその香りをかいでみます。
つづいて、そのままゆっくり息を吐ききり、吐ききったあとはお腹の力をゆるめ、息が自然に肺にはいってくるのにまかせます。
新鮮な空気が肺にはいりこんでくる状態と、それを受け入れる身体全体のようすを味わいます。
そしてもう一度、お茶の香りをかいでみます。
なにか違いはありますか?

2014年10月18日土曜日

マインドフルな10月18日

アーティストにかぎらず、なにか技術や知識、思想などを持っている人が、それを開示して人々にシェアしていく、そうすることで社会全体がゆたかになるかもしれません。
しかし、古いかんがえだと、自分の技術や知識を人に盗まれたくない、それを使って自分よりすぐれた表現をしたりものを作ったりする人が現れると、おまんまの食い上げになる、となります。
勇気をもって自分を開示することで、人とつながり、人が集まり、そしてそこに生活する仕組みができてくる、これがこれからの時代のかんがえかたではないかと思います。

マインドフルの練習(297)
靴と靴下を脱いであぐらをかいて座ります。
裸足の左の足の裏に、右の手のひらをぴったりとくっつけます。
手のひらで足の裏のでこぼこや肌触りなどを味わってみてください。
どんな感じがしますか?
しっかり味わったら、右の足の裏も反対の手で触ってみましょう。

2014年10月17日金曜日

マインドフルな10月17日

自分が持っている技術や知識を人に教えるとき、「教える」というより「シェアする」と表現したほうがしっくりくることがあります。
人の共同体というのは、さまざまな知恵や知識をシェア(共有)することで豊かになります。
しかし、競争社会においては、シェアするより独占し、個別の利益を確保したり増大しようとします。
「競争原理」などという言葉があって、そのことでさも社会がより発展するような印象が作りだされていますが、本当にそうなのでしょうか。
著作権や特許などといった権利についても、それがほんとうに社会の豊かさをもたらしているのか、疑問があります。

マインドフルの練習(296)
自分の片方の脚が骨折したと仮定してみます。
移動するには松葉杖や車椅子を使う必要があります。
実際にそのような人もいます。
その仮定のなかで街を歩いてみましょう。
さまざまな問題に直面すると思います。

2014年10月16日木曜日

マインドフルな10月16日

芸術家が人にものを教えることを、よしとしない風潮がときにあります。
たとえばピアニストが生徒を取って教えるというと、ピアノ演奏だけで十分な収入がないのか、とさげすむ人がいます。
自分の持っている技術やかんがえを人に教えるのは、それで収入を得るためだけではありません。
人になにかを教えたことがある人ならわかると思いますが、「教える」という行為は最高の「学び」といってもいいほどなのです。
自分が獲得したものを自分だけのなかに囲いこむのではなく、積極的に人に伝えていくということも大切なのではないでしょうか。

マインドフルの練習(295)
まっすぐ立ち、足の裏に注目します。
靴をはいていてもいなくてもかまいません、立ったまま、両方の足の指をギュッと曲げて、まるで床をつかむようにしてみます。
しばらくつかんでから、ゆっくりと力を抜いて離します。
それを何度か繰り返してみてください。
床をつかむときと離したとき、身体のようすはどのように変わりますか?

2014年10月15日水曜日

マインドフルな10月15日

人生はけっして平穏無事、平和ではありません。
生きていればいろんなことが次から次へと降りかかってきます。
安穏や平穏な人生を求めるのではなく、なにか降りかかってきたときにも落ち着いて対処できるスキルを身につければいいのです。
そのスキルのなかでももっとも有効かつパワフルなものが、マインドフルネスの技術だといえるでしょう。
いまここにある自分自身とまわりのことに気づきつづけ、なにごとからとらわれて身動きできなくなることもなく、冷静で客観的な落ちつきのなかで的確に行動できること、質の高いマインドフルネスはこれをもたらしてくれます。

マインドフルの練習(294)
まず何度か息を吐いたり吸ったりして、身体と肺をできるだけ新鮮な空気で満たしましょう。
そのあとに大きく吸って、息をとめます。
酸素が十分に取りこまれているので、しばらくは苦しくないと思います。
自分が呼吸をしていない、肺が動いていない状態を、しばらく味わってみましょう。
しーんとした静かな感じが身体のなかに生まれませんか?
苦しくなる前に呼吸をもとにもどします。

2014年10月14日火曜日

マインドフルな10月14日

自分とだれかを比較して、自分のほうが優位であることを確認して優越感をおぼえ、そのことで安心する「安心」そのものは、不安定な安心です。
安心の奥に不安がひそんでいます。
なぜなら、自分の優位がいつまたひっくり返されるかわからないからです。
なので、自分の優位によってこころの平安を求めようとする人は、人より優位に立ちつづける競争をやめることができません。
財産をいくら築いても、名誉をいくら得ても、本当の安心はやってきません。
人と自分を比較しているかぎり、けっしてこころの平安はおとずれないのです。

マインドフルの練習(293)
マインドフルにお茶をいれたり、飲んだり、という練習はすでにしていますね。
今度はお茶を飲んだあとにもマインドフルになる練習をしてみます。
お茶を飲みきったあとのからになった湯のみを見てみます。
そこにはいましがた、あなたに飲まれるためにお茶が満たされていました。
そのお茶はいま、あなたの身体のなかに移動しました。
お茶が移動してきたあなたの身体と、お茶が移動していったあとの湯のみと、そのふたつをどうじに感じてみることはできますか?

2014年10月13日月曜日

マインドフルな10月13日

優越感や劣等感を私たちはどのように身につけてきたのでしょうか。
子どものころから、なにかをおこなったときに、人よりうまくやれればほめられる、順位があがればほめられる、あるいはその逆の場合は叱責される、といったふうに学習させられて育ちます。
子どもは親や教師などの大人のなかで、自分が安全で安心してすごすために、競争に打ち勝つ努力をする、あるいはしているふりをする、というふるまいを身につけていきます。
つまり、そこには自分の安心や安全といったこころの平安の問題があるのです。
自分が本当はなんによってこころの平安を得ることができるのか、深くかんがえてみる必要があります。

マインドフルの練習(292)
ゆったりと座ることができる背もたれ付きの椅子に座ります。
しかし、まずは背もたれに背をあずけずに、背骨を立て、骨盤を座面に垂直になるようにして、まっすぐ座ってみます。
しばらくその感じを味わってから、今度はゆったりと背もたれに背をあずけ、全身から力を抜いてみます。
違った感じがすると思います。
それを何度かくりかえし、自分の身体の感じの変化を味わってみましょう。

2014年10月12日日曜日

マインドフルな10月12日

優越感、あるいは劣等感は、なにごとにも序列をつけ、上下関係を作る社会の仕組みのなかで生まれてきます。
人はもともと、そういう感情は持ちあわせていません。
子どものころから比較され、序列をつけられ、そのことによってほめられ、あるいはけなされていく過程で、徐々に身につけていくものです。
人をうらやんだり、さげすむ感情が自分のなかに見えたとき、自分自身がそのとき本当に大切にしているものはなんなのか、静かに内側をのぞきこんでみる必要があります。

マインドフルの練習(290)
右手で浅いお椀の形を作ります。
それを使って右の耳全体をすっぽりおおってみましょう。
どんな音が聞こえますか?
つづいて左手も浅いお椀にして、左耳もおおってみます。
どんな音が聞こえますか?
十分に聞いたあとで、両手を耳から離してみましょう。
どんな感じがしますか?

2014年10月11日土曜日

マインドフルな10月11日

そんな人ばかりではないかもしれませんが、だれかが不幸なめにあっているのを見たり聞いたりすると、ちょっと気持ちよくなることがあります。
実際、他人の不幸を商売にする雑誌や番組が成立しています。
自分にわざわいが降りかかるのはごめんだけど、他人の不幸はおいしい、という人がいるし、自分のなかにもそんな部分がちょっとあるかもしれません。
人の不幸を見てこちらが気持ちよくなるのは、優越感などで自分が相手より優位・上位に立てたような気がするからです。

マインドフルの練習(289)
コピー用紙でも広告でもなんでもいいんですが、いらなくなった紙を一枚用意します。
たとえばA4サイズくらいの紙を用意したとします。
それを半分に折ります(一回め)。
さらに半分に折ります(二回め)。
さらに……というふうに、三回、四回と、どんどん折りたたんでいきます。
さて、何回折りたたむことができましたか?
八回以上折ることができたとしたら、あなたは相当な怪力の持ち主でしょうね。

2014年10月10日金曜日

マインドフルな10月10日

なにか失敗したり、ものごとが思うようにいかなかったとき、ウジウジと自分自身を責めることに実は快感をおぼえてしまうことがあります。
「どうせ自分なんか」とか「できない情けない自分」を責めて内向きになり、しかしその閉じこもった感じが嫌いではない、むしろ居心地がいいような気もする、という状態です。
うじうじしたり、あるいはそうでなくても過去の思い出にふけったり、自分の内側に閉じこもることには一種の快感があります。
しかし、そこからはなにもよいものは生まれません。

マインドフルの練習(288)
においの強い食べものやあと味の残るものを食べることがあります。
玉ねぎ、納豆、ニンニク、魚といったものですが、食事が終わってからも気になりますね。
そういうとき、ゆっくりと深呼吸をしてみましょう。
まず息をすっかり吐いて、それからゆっくりと大きく吸います。
新鮮な空気を味わってください。
そしてふたたび吐いていきますが、においやあと味をしっかりと感じながら、つまりその存在を否定するのではなく受け入れながら、ゆっくりと吐ききってみましょう。

2014年10月9日木曜日

マインドフルな10月9日

いっしょに仕事していたり、生活している仲間から、「なにか手伝おうか?」と申し出を受けたとき、うれしい気持ちとともになんとなく気が重くなることがありませんか?
手伝ってもらいたいと思いながらも、自分のやりかたがあって、だれかに頼むとそれとは違うやりかたをされてイライラしてしまう、そういう経験があって、腰がひけてしまうことがあります。
そんなとき、あなたは、ものごとをやりとげるための「手段」にこだわっているのです。
それを手放し、相手にやりかたや手段を任せられたとき、どんなことが起こるでしょうか。

マインドフルの練習(287)
トイレで用を足し、トイレットペーパーを使うとき、あなたはなにを感じていますか?
おそらくほとんど無意識にカラカラと引きだして、いつもの手順で必要なことをおこなっているでしょう。
まるでいま初めてトイレットペーパーというものを目にし、まるで初めて使うかのように注意を向けて使ってみてください。
どんな感じがしますか?

2014年10月8日水曜日

マインドフルな10月8日

生きていると楽しいことばかりが起こるわけではありません。
苦しいこと、悲しいこと、憤りを感じることが身に降りかかりますし、世界でもさまざまな嫌なこと、危機的なことが日々発生しています。
だからといってそういう問題に直面したとき、自分自身が苦しくむずかしい顔つきや気分であたったとしても、問題はまったく好転しません。
問題が起きてもいつもほがらかな気分や顔つき――つまり身体性――でいれば、自分自身の本来ある能力をめいっぱい使える可能性が高まります。

マインドフルの練習(286)
木の葉っぱを一枚、取ります。
できれば広葉樹の、なるべく大きな葉っぱがいいでしょう。
それを両手の手のひらにはさんでぴったりと押さえます。
合掌した手のひらの間に葉っぱがはさまっている状態です。
さて、手のひらの内側にある葉っぱはどんな感触ですか?
その葉っぱの存在を感じとっているあなた自身は、どんな感じがしますか?

2014年10月7日火曜日

マインドフルな10月7日

人生が楽しい、毎日が楽しいから、機嫌よくなるのではありません。
機嫌よくしているから、毎日が楽しくなるのです。
自分の「機嫌がよい」という要因を自分の外側にもとめてしまうと、いまの世の中、なかなか機嫌よくなれませんし、また他人にたいする要求も生まれてしまいます。
ひいては「自分を機嫌よくすごさせてくれない」他人にたいして恨みや敵意を抱いたりしかねません。
機嫌よくすごすことを、まず自分の内側からはじめてみます。
いまそこにいるあなたの内側に、いきいきと脈動する生命の感じがありますよね。

マインドフルの練習(285)
夜、眠る前でかまいません。
仰向けになって横になり、両手の指を組んでお腹の上に乗せます。
みぞおちのあたりがいいでしょう。
そしてそこが呼吸とともにゆっくりと上下するようすを観察してみます。
あなたの生命活動のひとつがそこに現れています。

2014年10月6日月曜日

マインドフルな10月6日

「好きにしたら」といわれたとき、相手は本当はあなたとつながりたい、尊重されたいという気持ちがあるのに、なんらかの理由によってそれをあきらめなければならなくてつらかったり、傷ついたりしていることを、そのような表現で示しているのかもしれません。
そういうときは相手がなにを必要としているのか、どういう気持ちなのか、推測し、聞いてあげる必要があります。

マインドフルの練習(284)
両手で鼻と口をマスクのようにぴったり覆って、息をせきとめるようにしてみます。
それでも、息を吐けば指のあいだから息が漏れて出ますし、息を吸えば指のあいだから空気がはいってきます。
息を吐くときには指のあいだを温かくて湿った呼気が、息を吸うときには指のあいだを冷たい外気が通っていくのを観察しながら、何度かゆっくりと呼吸をしてみましょう。

2014年10月5日日曜日

マインドフルな10月5日

だれかとなにかを一緒にしようとしたとき、意見がすこし食い違っただけで相手から「じゃあきみの好きにすればいい」といわれることがあります。
こちらの好きなようにやらせてもらえる、こちらを受け入れてもらえる、というより、むしろ突きはなされたように感じて寂しくなります。
「あなたの好きなようにすればいい」ということばは、文脈によっては相手を突きはなす――つまりつながりを断つことばとなります。

マインドフルの練習(283)
あまりまぶしくない電灯のあかりに目を向けてみます。
まっすぐ光を見ながら、すこしずつ目をほそめていきます。
まぶたがほとんどふさがるくらい細くすると、まつげなどで干渉された光が屈折して見えます。
おもしろい光のフレアが見えたりするかもしれません。
ちょっとした光のひとり遊びを楽しんでみてください。

2014年10月4日土曜日

マインドフルな10月4日

なにを見ても、どんな話をしても、冷笑的な態度や言動を見せる人がいます。
その言動がこちらに向けられ、冷笑的に断定されたり、分析されたりすると、あまりいい気分ではありません。
しかし、その人はなぜそんな態度を取っているんでしょう。
そこのところを推測してみると、その人のことを「苦手」とか「嫌い」とか思わずに、ただフラットに接することができます。
たとえば、その人が相手を見下すような態度を取るのは、自分が優位に立ちたいからかもしれません。
自分が人より下位になってしまうことをとても恐れ、おびえているからかもしれませんね。

マインドフルの練習(282)
携帯電話でだれかに電話するとき、ちょっと電話の持ちかたに注意してみましょう。
ギュッと握って、強く耳に押しつけていませんか?
あるいは逆に、軽く握って耳に触れるか触れないかくらいにしていますか?
どういう持ち方がいいとか悪いとか、そういうことではなく、ただふだん自分がおこなっていることを、実際にどのようにおこなっているのかあらためて観察してみると、なにかおもしろい発見があるかもしれませんね、という練習です。

2014年10月3日金曜日

マインドフルな10月3日

たとえば友人とランチに行くことになったとします。
「なに食べたい?」と尋ねられたあなたは「なんでもいいよ。任せるから」と答えました。
しかし、友人が「じゃパスタにしようか」というと、「いや、パスタの気分じゃない」、「じゃあラーメンは?」「ラーメンもちょっとなあ……」
「任せるからっていったじゃん」結局友人を怒らせてしまったりします。
自分で決めるのがなんとなく引け目を感じる理由、あるいは友人に任せると投げてしまう気持ちのなかに、責任を取りたくないという気持ちはありませんか?
本当はあなたのなかにはきちんと「こうしたい」という積極があるはずです。

マインドフルの練習(281)
リラックスして立ち――あるいは座り――呼吸を整えてから、小さな声でいいのでハミングをしてみます。
まっすぐ前を向いてハミングをはじめ、そのまま顔を上に向けていきます。
上を向いたら、つぎに下に向いていきます。
それを何度か上下にくりかえしてみます。
声はどのように変化しますか?

2014年10月2日木曜日

マインドフルな10月2日

私たちがなにかものごとをおこなうことに対して積極的になれない理由のひとつとして、「責任を取りたくない」というぼんやりした気持ちがあります。
「あんた、やるいうたやん。どないしてくれんねん」
というようなことを人からいわれたくないので、たとえばPTAの係であったり、あたらしい仕事であったり、仲間うちの飲み会の幹事であったり、待ち合わせの時間を確定することであったり、なんとなく逃げ腰になることがあります。
そういう自分に気づいたとき、それは積極的に言語化してみたら「イエス」なのか「ノー」なのか、そこにある自分の価値や必要性についてノートに書きだしてみることをおすすめします。

マインドフルの練習(280)
両手を身体の前に出し、お祈りをするような形で指を組み合わせてみます(実際にお祈りする必要はありません)。
そのとき、右手の親指は左手の親指の上になっていますか? 下になっていますか?
どちらでもかまわないんですが、それが逆になるように指を組み替えてみてください。
どんな感じがしますか?

2014年10月1日水曜日

マインドフルな10月1日

現代社会ではなんでも比較してしまいます。
「あいつよりおれのほうが給料が安い」「背が低い」「彼女のほうがかわいい」「いい大学を出ている」「足が速い」「議論がうまい」「料理がうまい」
きりがありません。
だれかと自分を比較した結果、そこにはなにが生まれるでしょうか。
劣等感、あるいは優越感でしょうか。
いずれにしても幸福にはなれません。
人と自分を比較することは、不幸になるためのもっとも効率のよい行動です。

マインドフルの練習(279)
この季節、キンモクセイが香っている地域が多くあるんじゃないでしょうか。
キンモクセイの香りに気づくと反射的に、その香りに結びついたなんらかの記憶がよみがえります。
その記憶をちょっとわきに置いておいて、実際のキンモクセイはどんな香りなのか、いまこの瞬間に香っている香りそのものに注意を向けてみましょう。