2014年4月30日水曜日

マインドフルな4月30日

人の行動を生みだす「必要性=ニーズ」には、自分の外側にあるものと内側にあるものがあります。
外側にある社会的なルールや倫理観、約束、決めごとといったニーズは「ねばならない」「してはならない」という要求を自分自身や他人につくります。
内側にある価値や必要性は「やりたい」「してもいい」という積極的なモチベーションを自分にあたえます。
一見「ねばならない」という外部的ニーズに思えることも、よく見てみれば自分の内側のニーズにつながることがよくあります。
そうなると行動は積極的かつ明快になります。

マインドフルの練習(123)
立っている状態で片足をあげてみます。
右足でも左足でもかまいません。
そのとき、両足で立っている状態からゆっくりゆっくり、片足立ちの状態に移行するとき、身体のようすがどのように変化するのかしっかりと観察してみましょう。
両足にかかっていた重心が片足に移動してバランスをとり、身体全体のようすが大きく変わるのがわかりますね。

2014年4月29日火曜日

マインドフルな4月29日

おなじ自転車に乗るにしても、社会的ルールの縛られて「左側を走らねば」とかんがえているのと、自分自身の必要性につながっているのとでは、おおきな違いがあります。
社会的や対人関係から生じる自分の外側にある必要性ではなく、この場合は自分の内側にある「安全に自転車に乗りたい」「人に迷惑をかけたくない」といったニーズにつながり、積極的に「左側を走ろう」とかんがえます。
自分の内側にあるニーズにつながるとき、そこには積極的でクリエイティブな行動が生まれます。

マインドフルの練習(122)
深く呼吸します。
いっぱいに吐いてから、いっぱいに吸って、これ以上吸えないというところまでがんばります。
痛みはありませんか?
痛みやつらさを感じるときは中断したり、ゆるめてください。
肺がいっぱいになったら、そこでいったん息をとめます。
空気がたくさんはいっているので、しばらく息をとめても苦しくはありませんね。
肺に空気がいっぱいに満たされ、肺のまわりの筋肉や骨が内側からのばされているようすをしばらく観察してみましょう。

2014年4月28日月曜日

マインドフルな4月28日

人はニーズ=必要性にせまられて動いているわけですが、このニーズにも二種類あります。
ひとつは自分自身の必要性。
もうひとつは社会的な(他者との関係性のなかで生じる)必要性。
自転車は左側通行と法律で決まっているから、左側を走らねばならない、と思うとき、それは社会的な必要性にそって動いているわけであり、自分自身の必要性を感じているわけではありません。
こういうとき、「こうせねばならない」という強制の意識がはたらいて、人は「いやいや」という心理が無意識に働いてしまいます。
行動をパワフルにするためには、自分自身のニーズにつながりたいのです。

マインドフルの練習(121)
まっすぐ立っていったん息を吐ききってから、今度は息をいっぱいに吸います。
みぞおちのあたりにゴムボールがひとつはいっているとイメージして、それをふくらませていくようにお腹のほうから胸にむかって息をいれていきます。
最後は胸から肩、首のあたりまでいっぱいに息をいれます。
息を吸うときは、横隔膜が収縮して肺の容積を下に大きくすると同時に、外肋間筋が収縮して肋骨を上にあげて胸郭を広げます。
そのようすを観察してみましょう。

2014年4月27日日曜日

マインドフルな4月27日

いまこの瞬間、自分自身がこうして生きてさまざまなことを受け取ったり感じていることに気づくことで、自分がなにを必要としているかも明確になります。
あるいは自分がどんなことを大切にしているのか、なにに価値を置いているのか、あきらかになります。
するとそれを満たすためになにをしたいのか、なにをすればいいのかも明確になっていきます。
つまり、明快な行動が生まれます。
うつ状態で寝こんでいたり、ひきこもっている状態とは真反対のふるまいです。

マインドフルの練習(120)
まっすぐ立って「さあ息を吐くぞ」と、ちょっとだけ気合いをいれてください。
そして息をながくゆっくりと吐いていきます。
そのとき、自分の身体の変化に注目します。
肋骨がさがっていくのは内肋間筋という筋肉と外腹斜筋、内腹斜筋という筋肉が収縮しているためです。
お腹がかたくなってへこむのは、腹横筋という筋肉の働きです。
それらの筋肉に意識を向けてしっかりと息を吐ききってみます。

2014年4月26日土曜日

マインドフルな4月26日

マインドフルとは正反対の状態にあるのが、ひきこもりといわれている人々です。
たとえば学校や仕事で人間関係につまづき、休んでしまう。
あるいは通院し、薬にたよるようになる。
対人関係の問題をみずから克服できないかぎり、なかなか社会復帰するのはむずかしくなります。
「いまここ」の自分自身につながり、イキイキと自分のニーズを満たすために動けるようにならないかぎり、無理矢理社会復帰させようとしてもうまくいきません。
まず呼吸法からはじめられるといいんですが。

マインドフルの練習(119)
椅子にすわって骨盤を立て、背骨がまっすぐに立つことを意識します。
座骨が椅子の座面に直角にあたるようにします。
頭は脊椎のてっぺんでデリケートにバランスをたもち、かるく浮いているようなこころもちです。
その状態で息をながくゆっくりと吐ききっていきます。
しっかり吐ききるとき、肋骨がさがってすぼまり、同時にお腹がギュッとかたくなって内臓が締められるのを観察できますか?

2014年4月25日金曜日

マインドフルな4月25日

こころの状態が身体のありようや表情を作ると思いがちですが、じつはその反対であることが最新の脳科学の研究であきらかになっています。
私たちは「悲しい」から「泣く」のだと思っていますが、まず「泣く/涙が出る」という身体反応があり、それを脳が「悲しいのだな」と判断しているというのです。
なかなか納得しがたい説ですが、それを信じる、信じないは別として、身体の状態を変えることでこころの状態が変わることはだれもが経験していることでしょう。
こわばっている身体をリラックスさせるだけでもこころが軽くなることがあります。

マインドフルの練習(118)
ひとりでいるときでかまいません、わざとに微笑みを作ってみましょう。
笑みを作ると、唇は筋肉によって左右に引っ張られ、頬も上にあがります。
眉も上にあがり、顔のまんなかのあたりが「広い」感じになります。
顔面の面積が広くなり、受け取る情報が多くなるのが「笑い顔」です。
実際に自分の顔が外に向かって開かれた感じがするかどうか、観察してみましょう。

2014年4月24日木曜日

マインドフルな4月24日

マインドフルネスをこころがけていたり、あるいは自然にマインドフルネスの状態になっている人がいれば、すぐにそうとわかります。
まず、その人の顔には微笑みが浮かんでいます。
どんな状態や境遇であろうと、いまこの瞬間の自分が生命活動のなかにいてイキイキとした活力を持っていることに気づいていられれば、自然に笑顔になるのです。
逆にいえば、自分が暗い顔をしていたり、無表情になっているとき、それは「いまここ」の自分自身に気づいていない状態だといっていいでしょう。
意図的に笑顔を作ってみるのも、マインドフルネスへの近道かもしれません。

マインドフルの練習(117)
鏡に向かって自分の顔を観察してみましょう。
顔を見ながら、呼吸を深くしてみます。
ゆっくりと吐きだし、そしてまたゆっくりと吸います。
肺のすみずみにまで新鮮な空気がゆきわたり、それが血管をとおってくまなく全身に運ばれていくのを感じます。
さて、鏡に映っているあなたの顔にはなにか変化がありましたか?

2014年4月23日水曜日

マインドフルな4月23日

眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せている人がいます。
年輩の男性に多く見られますが、若い方や女性にもいます。
眉間に皺を寄せるというのはどういうことでしょう。
なにかつらい、あるいはきびしいことを思いだしているか、あるいは「自分はいま難しいことをかんがえているんだぞ」もしくは「不機嫌なんだぞ」ということをアピールして人を遠ざけようとしたり権威ぶって見せているかです。
前者だったらマインドフルになることで眉間は晴れます。
後者だったら、そうふるまっているニーズを推測してあげましょう。

マインドフルの練習(116)
人は歩くとき、両手両足を無意識に投げだすように交互に振り、バランスを取りながら推進力を得ています。
そのとき、両手の先端や足の先のほうには意識は向いていません。
そうしなくても歩けるからです。
ちょっとゆっくり歩きながら、自分の両手の先端や足の先のほうがどのように動いているのか、それがどんな感じなのか、注意を向けてみましょう。
とたんにぎくしゃくするかもしれませんが、しばらくつづけてみます。

2014年4月22日火曜日

マインドフルな4月22日

「……しなければならない」とか「……してはならない」というかんがえは、自分の外側にある決まりごとやルール、社会的・後天的につちかわれた価値判断から来るものです。
それは簡単に自分自身や他人に「怒り」として向けることができます。
しかし、自分の外側にある価値にもとづいているので、自分の命にはつながっておらず、イキイキとしたものではありません。
自分の内側にある価値につながっているとき、「……したい」「……しなくてもいい」というより積極的でイキイキとした言葉や行動が生まれます。

マインドフルの練習(115)
赤ん坊時代に立ちあがり、歩く練習をはじめて以来、私たちはずっと毎日歩くことをしているので、熟練者です。
あまりに熟練しているので、歩くこと自体にあまり意識を向けることはありません。
たまに自分がどのように歩いているのか、つぶさに注意を向けてみましょう。
両手両足がどのようにバランスを取っているのか、体重移動はどんなぐあいにおこなわれているのか、足はどのように運ばれているのか、じっくり感受してみましょう。

2014年4月21日月曜日

マインドフルな4月21日

感情は自分の身体の変化をともなって現れます。
怒りが身体をこわばらせたり、肩を凝らせたり、腰に痛みを生んだりします。
喜びは全身に力が満ちてわっと表現したくなります。
悲しみは身体をちぢこまらせてしまったり、脱力して動けなくなったりします。
そういった変化のさらに奥には、自分の価値があります。
価値は自分の生きている原動力・活力そのものといっていいでしょう。
そこにつながることで、感情を否定せず、よりそうながらも、イキイキと行動できるのです。

マインドフルの練習(114)
歩いているとき、自分の頭のことを意識してみましょう。
かなりの重さがある頭が脊椎のてっぺんに乗っかってバランスを取っています。
その頭を意図的にギュッと首をすくめるように身体のほうに押しつけてみましょう。
身体の動きや感じに変化がありますね。
逆に今度はすっと首がのびるように頭を浮かせてみましょう。
今度はどんな変化があらわれましたか?

2014年4月20日日曜日

マインドフルな4月20日

ある感情にとらわれているとき、自分の行動(パフォーマンス)が低下することがあります。
イライラしている、ムカムカしている、モヤモヤしている、怒りや悲しみがある、といったとき、その感情に支配されてしまって、本来の自分の能力を出しきれないときがあります。
スポーツ選手や表現者はこういった事態におちいるのを避けるため、きびしいメンタルトレーニングをおこないます。
しかし、特別なトレーニングをしなくても、感情に左右されずに自分の能力を発揮できる方法はあります。
それにはまず、「その感情」がどこから来ているのか、感情より深い部分にある自分の価値につながっていくことです。

マインドフルの練習(113)
両手の指をかるく開いて、掌をすこし離して向かい合わせにかざします。
指は力をいれずに、自然に曲がっている状態にします。
バレーボールくらいの大きさのものを両手で持っているような感じです。
そのまま、指と指を合わせます。
小指は小指に、薬指は薬指に、親指は親指に、五本とも指先を接触させます。
とてもゆるい「合掌」の形です。
右手の指先は左手の指先を、左手の指先は右手の指先を、それぞれたがいに感じあってみてください。

2014年4月19日土曜日

マインドフルな4月19日

なにごとかをただ感じつづけていることと、「このように感じているな」とかんがえることは、まるでちがう状態です。
おなじ脳のはたらきでも、身体そのものにつながっている脳の深い部分が働いているか、あるいは思考をつかさどる脳の表面の部分が働いているかのちがいです。
マインドフルネスや瞑想は脳の深い部分を活性化させ、自分の身体や、自分自身の存在そのものを感じつづけている状態といってもいいでしょう。

マインドフルの練習(112)
指の先で自分の頬に触れてみます。
頬の表面の温度を感じますか? それは冷たいですか、温かいですか?
指先の温度と頬の表面の温度では、どちらが温かいですか?
たとえば頬のほうが冷たいとします。
指先では頬の表面の冷たさを感じ、頬では指先の温かさを、相互に感じてみます。

2014年4月18日金曜日

マインドフルな4月18日

マインドフルネスは自分自身の「いまこの瞬間」を感じ、気づきつづけることをいいますが、厳密にかんがえるとそれは大変むずかしくやっかいなものであることがわかります。
思考という能力を持つ人は、「いまこの瞬間」をつかまえたと思っても、それは即座に「つかまえた」「こんな感じ」という思考に転写され、転写された思考はもう過去のものになっているのです。
思考に転写することなく感じつづけ、気づきつづけることが、質のよいマインドフルネスだといえます。
これには日々の練習が必要なことはいうまでもありません。

マインドフルの練習(111)
自分の指の指紋を観察してみましょう。
右手の人差し指の指紋を見てみましょうか。
私は老眼が進んでいるので、虫眼鏡を使ってみることにします。
最近はスマホのアプリにルーペ代わりになるものがあったりして、便利ですね。
あなたの指紋はどんな模様をしていますか? 渦を巻いてますか? 流れていますか? 波のような形ですか?
あらためて指紋を観察してみてなにか気づくことはありますか?

2014年4月17日木曜日

マインドフルな4月17日

展覧会などで絵を見るとき、私たちはそこに「なにが描かれているか」を見ようとします。
風景なのか静物なのか、あるいは裸婦なのか。
近代の作品になり、輪郭がぼやけたり、写実的でなくなったり、あるいは抽象絵画になったとしても、そこになんらかの自分が見覚えのある「なにか」を見つけようとします。
じつは絵画表現にとって、描かれている「なにか」は重要ではないのです。
表現にとって重要なのは、「なにが描かれているか」ではなく、それが「どう描かれているか」なのです。

マインドフルの練習(110)
ケータイやスマートフォンを持ってメールしたりゲームしている人は、例外なくマインドレスだといっていいでしょう。
それを逆手に取った練習をしてみましょう。
スマホなどを手に持ち、しかしなにも表示させずに、その画面を見ながら、自分の呼吸を思いだします。
あたかもスマホに熱中している人のようなふりをしながら、じつは自分の呼吸に集中し、自分の身体や自分全体のありように気づきつづけられるかどうか、試みてみましょう。

2014年4月16日水曜日

マインドフルな4月16日

だれかがなにかをいっているとき、「なにを」いっているのか、ではなく、「どう」いっているのか、のほうに注目します。
「どう」のなかには、その人がなにに価値を置き、どんなことを大切にしているから「それ」をいっているのかを指ししめす情報が含まれています。
だれかがあなたにクレームをつけてきたとき、その人はその人のなかになにか価値観やニーズをそこなわれて「そのクレーム」を伝えようとしているのです。
クレーム自体に注目せず、その人のなかの価値観やニーズに注目します。
それが共感的コミュニケーションの原理です。

マインドフルの練習(109)
手の親指と人差し指の付け根のところに、ちょっと肉が分厚くなっている部分がありますね。
ここは「合谷《ごうこく》」という名前のツボです。
ここを反対の手の親指と人差し指でつまんで、ギューっと押してみます。
痛くなるちょっと手前くらいの強さで押すと気持ちがいいと思います。
この「ツボ押し」のとき、その場所だけでなく、身体のどこか別の場所に反応が現れていないかどうか、観察してみてください。

2014年4月15日火曜日

マインドフルな4月15日

私たちは教育の過程で、意味、ストーリー、論理、そういったものを受け取り理解するように繰り返し訓練を受けます。
だれかがなにかをしゃべっていたらその意味を汲《く》み取ろうとしますし、朗読を聴きに行けばそのストーリーを追おうとします。
しかし、もっとも大切なものはそこにはないのです。
相手がどのようなことを大切にしながらその話をしているのか、どのような身体性や感情でそのお話を読んでいるのか、そのことを受け取るほうがはるかに重要なコミュニケーションであり、人と人のつながりはそこにしかないのです。

マインドフルの練習(108)
自分がわからない言葉を話している人の映像を見つけます。
英語でも中国語でもロシア語でも、なんでもかまいません。
最近はYouTubeなどで簡単にそういうものを見つけることができますね。
見つけたら、その人がなにを話しているのかではなく、どういう感じがその人から伝わってくるのか、そちらに注目して観察してみます。
不安? 喜び? 厳格さ? 怒り? なにが受け取れますか?

2014年4月14日月曜日

マインドフルな4月14日

だれかとつながって、イキイキとコミュニケートしたり表現したりすることで、人は元気になれます。
一方で、だれにも邪魔されない自分ひとりの静かな時間もまた大切です。
そもそも「自分」という身体をともなった入れ物は、だれもやってこない孤島のようなものです。
ときにはその孤島で風や波の音を聴いたり、自分で自分のことをしたりして静かにすごすような時間を持つことで、また人々のなかに出ていくことができます。
なにかひとつ、ひとりで静かにすごすときにやれる楽しみを見つけましょう。

マインドフルの練習(107)
紙かノートを広げ、静かにすわります。
深く呼吸をととのえたら、自分の内側にある「ことば」を見つけます。
自分の内側からはたえず思考の断片としてのことばが、泡のように浮かんできては消えていきます。
それをパッとつかまえ、書きつけてみます。
「白いもの」「風」「原稿用紙」「包丁」「りんご」「暖かい」
浮かんでくる言葉をとらえるゲームです。

2014年4月13日日曜日

マインドフルな4月13日

人が生きていくためには「社会性」が必要ですが、ときにそれが自分からイキイキした感じを奪ってしまうことがあります。
「こうふるまわなければならない」「こんなことはしてはいけない」といったルールや人間関係から来るふるまいを私たちは身につけていますが、その奥にはもっと自由にふるまいたがっている生命活動そのものが閉じこめられています。
それがあまりに抑圧されたり、強制されたりすると、私たちは元気がなくなり、輝きを失った人生をすごすことになってしまいます。

マインドフルの練習(106)
なにか丸いもの(ボールやリンゴなど)を片手に持ちます。
それを頭上一メートルほど投げあげてまたキャッチしますが、その軌道をつぶさに観察してみます。
手に持った感触、手が一瞬下にすこしさがってから投げあげる動作、ものが上に向かってあがっていくようす、その上昇が一瞬止まり、つぎに下に向かいはじめるようす、自分の掌にもどってきてキャッチするときの感触。
いつもなにげなくやっている一瞬の動作ですが、その時間をマインドフルにすべて連続的に観察する練習です。

2014年4月12日土曜日

マインドフルな4月12日

男が編物をしていると「男のくせにそんなことやって」といわれたり、女性が重たい荷物をひとりで運ぼうとすると「もっとおしとやかにしてなさい」といわれて勝手に荷物運びを奪われたり。
性差にかぎらず、多くの人が他人にたいして自分のものさしをあて、アドバイスしたりジャッジしたりコントロールしようとします。
そんなふうに人からなにかをいわれたり押しつけられたりしたとき、その人のいうことを聞く必要はありません。
相手がなにを大切にしているのか、ただそれを推測し、自分は自分のことを大切にすればいいのです。

マインドフルの練習(105)
いつも歩いている道をいつものように歩きます。
みじかい距離でかまいません。
ただし、その間にある看板や標識、あるいはマンホールの蓋といった、文字や記号や模様が描かれているものをすべてじっくりと観察しながら歩いてみてください。
いつもはこういうものをすべてスルーし、見えているのに見ないまま歩いているのです。
なにか気づくことはありましたか?

2014年4月11日金曜日

マインドフルな4月11日

なにかしてほしいことを人にたのむとき、相手からそれをことわられても腹が立たなければそれは「お願い」です。
相手にことわられたとき「なんでやってくれないんだ」「やるべき」などと腹が立ったとしたら、それはお願いではなく「強制」や「命令」「指示」なのです。
あらかじめ想像してみることで、自分が相手をコントロールしたがっているかいないかわかります。
いうまでもないことですが、人をコントロールできると思うのは傲慢なかんがえであり、事実はまったくちがいます。
思いどおりにコントロールできる人間など、たとえ年端の行かない子どもだとしても、いません。

マインドフルの練習(104)
まずなにかをしっかりと観察します。
茶碗でも花でも、建物でも人でも、なんでもかまいません。
「これを見る」と決めて、しっかりと目に焼きつけます。
それから、目を閉じます。
瞼《まぶた》の奥にいま見たものが浮かんでいるでしょうか。
ふた呼吸置いてから、目を開きます。
瞼の奥に浮かんでいた映像と、実物とは、どこかずれがないか、検証してみます。

2014年4月10日木曜日

マインドフルな4月10日

「責任転嫁」といういかにもいやな語感の言葉があります。
嫌悪しているにもかかわらず、私たちはしょっちゅうそれをやってしまいます。
風邪をひいてしまったことすら、
「あなたが風邪をひいたときマスクをしてなかったからうつったのよ」
と人のせいにしようとします。
風邪をひきたくないという健康のニーズがあるなら、まず自分にできることをしたいですね。
その上で、自分ではいかんともしがたいことがあれば、相手に「お願い」することもできます。
ただし、「お願い」は「命令」や「指示」とはちがいます。

マインドフルの練習(103)
どこか壁のある場所に立ちます。
自分の部屋のなかでも、建物の外でもいいです。
邪魔のはいらない安全で安心できる場所がいいでしょう。
壁に背中を向けて数メートル離れて立ち、ゆっくりと後ずさりしていきます。
そのとき、自分の呼吸、足の裏の感触、身体全体の感じを観察しながら、あわてることなく壁に背中がつくまで移動します。
見えていないものに身体が向かっていくとき、どんな感じがしますか?

2014年4月9日水曜日

マインドフルな4月9日

人はたえず、「自分は正しい」「自分は悪くない」ということを主張しながら生きています。
それは批判を受けるのが嫌だからです。
批判されると攻撃を受けているように感じ、反射的に自分を守ろうとします。
さらには原因を相手に転嫁しようとすることもあります。
いいわけが相手への攻撃に変わり、暴力的な言葉となっていきます。
そこには共感がありません。
批判されても、相手のニーズにつながるという共感的姿勢をこちらが持っていれば、自分を正当化する主張も、相手への攻撃も、必要ありません。

マインドフルの練習(102)
グラスハープという楽器をご存知ですか?
楽器といっても、使うのはただのコップです。
できれば薄手のワイングラスなど、大きめのグラスがいいですが、ワイングラスでなくてもできます。
指先を水で濡らして、それでグラスの縁を円を描くようになぞって音を出すのです。
とても澄んだ音色です。
集中して練習してみてください。

2014年4月8日火曜日

マインドフルな4月8日

人に自我があり、思考が脳内ではじまると、それ自体、ひとつの独立したコンピュータープログラムのように働きつづけようとします。
これを「反芻思考」と呼びます。
不安なことをかんがえはじめると、どんどん不安のなかに沈殿していったり、逆に楽しいことをかんがえはじめるとどんどん楽しさのなかに埋没していきます。
楽しいならいいじゃないかと思うかもしれませんが、どちらもこころの働きとしてはおなじものです。
自分の脳から一歩も出るものではありません。
これを断ち切らないとイキイキとした「いまここ」に気づくことはできません。

マインドフルの練習(101)
右手でも左手でもどちらでもかまいませんが、目の前に掌をかざします。
そして五本の指をできるだけ大きく開きます。
そのとき、それぞれの指ができるだけ外側にのびようとする感覚、ぴんと筋肉やスジが張った感覚を味わってみます。
その感覚のなかで、自分の呼吸にも注目を広げてみましょう。

2014年4月7日月曜日

マインドフルな4月7日

マインドフルネスをこころがけるとき、それをはばむ最大の敵は私たちの「思考」です。
ヒトの脳、とくに大脳新皮質はたえず思考を生み、自分自身の身体の感受や身体を取りまいている環境を感受することを邪魔しようとします。
思考は思考自体の内側にこもり、記憶を反芻したり、ありもしないことを延々と妄想したりして、喜怒哀楽の感情にひたりつづけます。
人間の脳にそのようなはたらきがあるのは、肥大した脳の機能として「自我」というものが必要であり、それを維持するためです。
自我を維持するための脳の機能は、私たちを自分自身の生命のはたらきから遠ざけます。

マインドフルの練習(100)
空に雲が浮かんでいたら、それを観察してみましょう。
そのとき私たちは、ほとんど自動的に、その雲がどんな形をしているのか、自分の知っているものに照らし合わせて連想しようとします。
だれかの顔に似ているとか、綿菓子みたいだとか、飛行機の形をしているといったふうに。
それをやめ、ただあるがままの雲の形と動きを観察し、それを受け取っている自分の身体がどのような感じになっているのか、呼吸とともに感じてみましょう。

2014年4月6日日曜日

マインドフルな4月6日

私たちの生命はそれ自体、自律的に活動し、表現したがっています。
子どもを見ればわかるのですが、だれも見ていなくても絵を描いたり、だれも聴いていなくても歌を歌ったりします。
自発的で純粋な表現欲求のようなものが人には生まれつきそなわっているので。
成長するのつれてその欲求がうすれるとかんがえる人がいますが、そうではありません。
鎧《よろい》のように身にまとっていく「社会性」が、その表現欲求を抑えこんでいるだけです。

マインドフルの練習(99)
本でもチラシでもかまいませんが、なるべく大きな活字を探します。
そのなかのひらがなの「も」でも「な」でも「ゆ」でもなんでもいいんですが、それをまずしっかりと観察してみます。
どんな形をしていますか?
紙のそれを鉛筆やペンでできるだけ正確に描きうつしてみます。
いつも自分が書いている字が、活字になると思ってもいなかったような形になることを発見するかもしれません。

2014年4月5日土曜日

マインドフルな4月5日

成長し、歳を重ねるにつれ、人はさまざまな経験や記憶、思考能力などを蓄積していきます。
経験や記憶、思考能力には、人それぞれ、固有のものが形成され、それゆえにそれが「個性」だと思う人が多いでしょう。
しかし、それは本当の個性ではなく、人間関係やヒト社会のなかで形成されていった、いわば「個人の社会性」といってもいいものです。
それらは本来の自分のまわりに分厚い鎧《よろい》のようにまとわれています。
本当の個性は、その内側にある固有の生命活動そのものにあるのです。

マインドフルの練習(98)
紙と鉛筆(ペンや筆でもいいですが)を用意します。
鉛筆で紙に「○」(まる)を描いてみます。
一度に正確な真円を描ける人はなかなかいないでしょう。
微妙にゆがんだり、細長くなったり、円が閉じなかったりします。
そのとき、私たちのなかにはいちいち「うまくいかなかった」とか「失敗した」とか「つぎはもっとうまく描けるはず」とか、さまざまな判断や思考が生まれます。
それをなるべく手放し、ただ自分が描いた円を「よい/悪い」と思わずに、どのようなものが自分の指先から生まれたのか、ただ味わってみます。

2014年4月4日金曜日

マインドフルな4月4日

ヨガや座禅、瞑想、あるいはいろいろな呼吸法などは、いずれも、自分の身体のありように注目し、思考を手放していくことが重要です。
しかしそれは、自分の内側に「こもる」ということではありません。
自分の身体やこころの内側だけに深くはいりこみ、まわりの状態と切り離された状態を作るのではありません。
むしろ、自分の身体に深く注目し集中することで、それが受け取っている外側の情報・状況が無理なく合流してきます。

マインドフルの練習(97)
肩幅くらいに両足をひらいて楽な姿勢で立ち、なるべく遠くに視線をやります。
その遠くになにか架空の移動するものをイメージします。
たとえば、遠方を高速で移動する車とか。
それが前方からあなたの右のほうへ移動していきます。
それにともなって、視線が自然に右のほうへと動いていきます。
そのとき、身体がどのように動こうとしているのか、その「きざし」を感じとってみます。
左のほうもおなじようにやってみます。

2014年4月3日木曜日

マインドフルな4月3日

音読療法の三本めの柱の共感的コミュニケーションは、さまざまなものをもたらしてくれます。
いろいろな場面での人間関係の問題を解決するばかりでなく、自分自身のこころのケア、ボイスセラピストのファシリテーション技術などです。
共感的コミュニケーションは自分が大切にしていることと、相手が大切にしていることの両方を見ていきますが、そのときも「いまここ」のマインドフルネスが重要になってきます。
いまこの瞬間、自分がなにを大切にしているのか、どんなことを必要としているのか、人間は案外そういうことをほったらかしにして先へ行きたがります。

マインドフルの練習(96)
肩幅くらいに両足をひらいて楽な姿勢で立ちます。
なるべく遠くに目をやりながら、目線と同時に顔も右を向けてみます。
まるで右側の遠くにいるだれかに呼ばれたかのように、です。
しかし、ゆっくりと。
身体が自然に反応して身体全体も右側をむこうという動きがあらわれます。
視線の移動と身体の動きの「きざし」を観察してみましょう。
左側もやってみるといいですね。

2014年4月2日水曜日

マインドフルな4月2日

音読療法の三本の柱のふたつめは「音読」です。
これがめざすのは「いまここ」のマインドフルネスの意識と「表現」です。
人は「いまここ」の自分につながり、そして自分を表現することで相手とのつながりを持ちます。
つながった結果いろいろなことが起こるわけですが、そのことをあらかじめ予測して表現の萎縮がおこるのはつまらないのです。
「いまここ」そして「表現」、順番をまちがえてはいけません。

マインドフルの練習(95)
口のなかで舌先を動かして、自分の歯の数をかぞえてみましょう。
息をとめずに、ゆっくりと、丁寧に。
上の前歯からはじまって左の上の奥歯へ。
左の下の奥歯から下の前歯、右の下の奥歯、右の上の奥歯、そして上の前歯へともどってきます。
奥歯のほうがちょっとごちゃごちゃしていて、一個一個の歯の区別がしにくいかもしれませんね。
ちなみに私は三十二個でした。

2014年4月1日火曜日

マインドフルな4月1日

音読療法の三本の柱のひとつの「呼吸法」は、マインドフルネスの入口です。
音読療法の呼吸法は昔から世にあるさまざまな呼吸法――ヨガ、禅、武術、その他――の特徴を調べ、そこから「いいとこ取り」をして子どもでもお年寄りでもできるようにシンプルで簡単な形にまとめたものです。
簡単なので、いつでもどこでもできます。
そこからマインドフルネスにはいっていけます。
もちろん、フィジカルな健康法としての効果もあります。

マインドフルの練習(94)
時計を前に置き、息を一定の速度で吐ききっていきます。
口からでも鼻からでもかまいません。
一定の速度で「ふうー」と吐いていき、これ以上もう吐けないというところまでがんばって吐きます。
呼吸筋群が収縮し、一種の筋トレの効果もあるでしょう。
何秒で吐ききれるのか、カウントしてみましょう。
だれかと比較する必要はありません。
自分の記録です。