◎今日のテキスト
杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋源右衛門方へ着いたのは、巳刻《みのこく》を少し回ったばかりだった。
が、顔馴染みの番頭に案内されて、通辞、西善三郎の部屋へ通って見ると、昨日と同じように、良沢はもうとっくに来たと見え、悠然と座り込んでいた。
玄白は、善三郎に挨拶を済すと、良沢の方を振り向きながら、
「お早う! 昨日は、失礼いたし申した」と、挨拶した。
が、良沢は、光沢のいい総髪の頭を軽く下げただけで、その白皙な、鼻の高い、薄菊石《あばた》のある大きい顔をにこりともさせなかった。
――菊池寛「杉田玄白」より
◎非共感的な現代社会(一)
もともと共感的な動物であるはずの人間が、なぜ現代社会では対立的であり、非共感的なふるまいをするのだろう。いや、これは現代にかぎらず、戦争を繰り返してきた歴史を見れば、文明発祥以来であることがわかる。
現代社会もそうだが、文明は「富の蓄積と拡大」というシステムを内包している。経済社会もそうで、資本主義経済は「成長原理」のもとに成り立っている。成長するためには効率と競争が求められる。
学校教育には競争原理が取りいれられ、そのための「評価システム」が組みこまれている。人は子どものころから、他人より少しでも優位な存在になることを強いられる教育を受けている。